最近、露店に立ち止まる層に変化を感じています。
それは、おばちゃん達。
駅前で露店を出していて改めて気付いたのですが、
毎週同じ時間帯に同じ場所を通る可能性が一番高いのが、主婦達。
では、そのおばちゃん達に見られる変化とは何か?
毎回横切るいつもの道で、何やらおかしな露店が出始めた。
「何だ、こいつら?」
といった怪訝そうな眼差しが、最初に受けた印象。所が、場が定着し始めると、今まで横目で流す程度だったおばちゃん達が、店の前、またはお題を立てかけた看板の前で、じっとお題と睨めっこをするようになってきました。その目つきは、怪訝ではなく、真剣にお題を選んでいるのです。
こちらから声を掛けてみると、真剣な顔つきのまま、
「前からずーっと気になってたのよね。何聞こうか、毎回考えてたの。」とか、お題を並べたチラシを渡すと、
「家でじっくり読んで、赤線引いてから来ても良い?」
等など、驚くくらい真剣な店への参加意欲が伝わってきます。
彼女達は、決まった時間に買い物をする為に出てきており、実はあまり寄り道する時間が無いようです。でも、聞きたい。
答えて欲しい、という意識が、矢のような鋭い視線となって露店を直撃してくる。
実際にお題を選んでくれた方は、最初若者に対するクレーム的な発言が目立つのですが、若者達の変化の過程・理由などをしっかりと説明し、そこに隠された可能性を提示すると、顔付きが本当に変わっていく。するどい眼光が徐々に和らぎ、こちらの話を丁寧に拾い上げて、
「おばちゃんも変わればいいのね。」と嬉しそうに満足料を払っていってくれます。
感動のあまり、周囲の人々までをも強引に座らせようとする方。
またここに来させてね、と2000円を置いていく方。
娘と一緒に、男(旦那・彼氏)の正体を改めて探りに来る友達親子。
楽しそうね、という気軽さが第一歩。
路上=若者達の場、という形で距離を開けていたが、一歩立ち入ると実はおばちゃんも含めたみんなの場である、という事に気付く。
そして、お題に目を留めてからが二歩目。
過去の井戸端会議ではなく、社会を対象とした突破口を切り開こうとする力に、心底応援の手を惜しげもなく差し伸べてくれる。
こんな地べたに座り込んで、という批判ではなく、みんなで答えを探し、提示していく為の場所なんだ、という理解は、おばちゃん達にもかなり大きな影響を与えてるのだ、と実感しました。
ある意味、路上というのはおばちゃん達が元祖だったように思います。所が、その井戸端(=路上)もあまり見かけなくなってきた。いつも不機嫌そうに街を闊歩するおばちゃん達には、愚痴の出せる場もなし。
しかし、その不機嫌そうな表情には、実は「答えがない」という社会不全がそのまんま現れているのではないか、と思いました。
そして、その見えない答えを求める先が、露店に並ぶ「何でだろう?」にそのまま向けられたのだと思います。鋭い眼光は、受けて立つべき社会不全の正体そのもの。その眼差しが暖かい表情に変わる瞬間を見ると、警戒心が氷解していくのが手に取るように分ります。
普通の人の代表格とも言えるおばちゃん達。この層に火が点くと、露店はますます盛り上がっていくかもしれません。 |
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