大きな公園の入り口の露店にその子たちはいた。
男子高校生の5人組が興味深そうに見ているので、露店ファンとして手伝っていた私が一人20円の相乗りでどうだ?と誘うと乗ってきた。
お題を決めるのにみんなで散々迷うがこれもとても楽しそう--やや不良っぽいリーダー格の子が”ブスがいなくなったのはなんで”が総意だということで決定。
店主の高校生の仲間収束(こんな言葉は一つも使わないが)の実感に沿うような答え方はとても良かったが、このリーダー格の子が面白い子で、店主の半答えをヒントに”カフェで勉強する””親父と話が続かない””授業が面白くない”等々のカードを次々と構造化?展開していったのには驚いた。聞いていても、ほとんど外れていないのだ。むしろ鮮やかといっていい 。
終わると思わず店主のほうから”今度からはこっちに座れよ”と感嘆の声があがる。
見た目には、学校の勉強できなそーだし、不良っぽいし、眉毛作ってる(昔風のそり込みではなく今風だが)し、タバコ吸ってやがるしダメじゃないかと思っていたけど中々のものだ。
彼らは旧観念の手垢にまみれてしまった大人たちが2-3年勉強して初めておぼろげに分かって来る共認社会という新しい現実をほんの1,2の言葉を与えられるだけで、やすやすと鮮やかに解き明かしてしまう。”なんでだろう?”とは、旧観念が通用しない新しい現実に対する当惑や違和感が生む疑問なんだろうが、彼らにはもともとそんな余計な旧観念など持ち合わせていないし、生まれて以来ずっと共認社会という新しい現実を当事者として生きてきているので”なんでだろう?”なんて疑問は生まれる余地がないのかもしれない。(お題がなかなか決まらないのはそのせいなのか?)
何で屋勉強店で席亭から”なかま”から”みんな”へ移行して共認社会の住人となっている中高校生のことや、”なんでだろう?”という疑問すらない若い世代が生まれつつあることを聞かされた。前者は、露店での経験からもすぐに実感できたが、後者は、半信半疑だった。
昨日はじめて目の当たりにした。改めて老席亭の洞察力に感服する。
最後に彼ら全員で店主の方に”ありがとうございました”と言って夕方の公園の方に消えていった。
路上の可能性というのはあの子達なのだろう。
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