>そう考えると共認原理へと時代が変わったにも関わらず、ごく一部のマスコミや教育機関によって肝心の社会の共認内容が決まっている事に現在の根本的な閉塞の原因があるのは間違いないでしょう。
70年代から生存圧力を克服した事によって社会の統合原理が本能原理から共認原理へと転換するなかで、何故こうもマスコミに権力が集中したのでしょうか。
生存圧力を克服すれば私権統合も崩壊していくはずなのですが、実態は'90年までのバブルに象徴されるように、人の意識は自分第一、お金第一で社会のことは関係ないという状況に、より突き進んでいったのが、'70年から'90年であったと思います。その意味ではより傍観者になっていったということだと思います。
むしろ’70年以前の生存圧力のかかっていた時代のほうが、人も家庭も国家も貧困からの脱出の克服という課題に向かって一体に突き進んでいて、その意味で人も国家や社会を考えていた(対象化)といえるのではないでしょうか。
そんな状況のなかで、既存の私権権力者に代わり、表現者たるマスコミが力を持ち、共認支配のもとに第一権力化していったのは、ある意味必然だったのかも知れません。
しかし'02以降、殆ど私権意識が崩壊したと言っていい現在、当事者欠乏がいよいよ顕在してきました。しかし相変わらず旧態然の観念しか持ち得ないマスコミが共認支配している状況に誰もが違和感を感じているのは当然と言えば当然です。
それが喜田さんの言われる、「根本的な閉塞の原因」ということだと思います。
その意味で今私達の最も必要なのは、既存のマスに変わる新たな共認形成の場、それが私達が参加している、るいネットであり交流会だと思います。
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