>この様な欲と欲がせめぎ合い、自我と自我がぶつかり合う性闘争・私権闘争は、力によってしか制圧されない。そこで真猿は、性闘争・私権闘争を制圧した力の序列を共認することによって(力の序列を秩序原理とすることによって)、性闘争・私権闘争を止揚し、共認の破壊=集団の崩壊を喰い止めている。(実現論1_5_04)
集団で生きる限り秩序化は不可欠であり、それは序列原理でしかなし得ないものと考えていました。しかし、上記実現論の引用にあるように、それは力による制圧に基づく秩序です。
制圧する力は腕力、武力、資力や知力、多数決による数の力等々、時代と共に変遷し、見かけ上は動物とは違う次元(共認や観念)に進化したようでも、敵であれ仲間であれ、相手を制圧するという力の原理で統合してきたことに変わりありません。
そこだけは、いくら本能レベルを超えて共認機能を獲得したサルでも、更には観念機能を獲得した人類でさえ、克服できなかった統合原理であり、共認や観念をもってしても覆し得なかった。
しかし、序列原理の前提にあるのが生存圧力であり、それを克服したことで、漸く統合原理を本能原理から共認原理に進化させる可能性、根本的な共認原理の実現可能性が開けたと言えるのでしょう。 |
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