3796 北村さんへ
精霊「信仰」の段階と人格神の段階の様相が異なるという御指摘は、正鵠を射たものと存じます。
5020で述べましたが、精霊認識の段階を経ることによって、人間は生存を保ち、より生存を確実なものとすることができました。すなわち、そのcircumstanceへの畏怖の念を共有することによって
集団が、単なる「群れ」でなく、共に活動し、闘い、或いは慰撫し合う「仲間」となり、外圧に取り組んでいけたのです。
その取り組みの中で、新しい生存の資獲得の方法が発見されるー偶然であれ思考の結果であれー、それがその集団の中で広がり、ついで「文化」として伝承されていく(幸島のサルの「芋洗い文化」については、夙に挙げられるところですが)。
そして積極的にcircumstanceー自然に適応してゆく、「サル学」の河合雅雄氏の言葉を借りれば
「狩猟採集文化も、文化である限り、人類が発明した悪の根源たらざるを得ないが、そこでは少なくとも、自然に適応することが生存の第一条件であった。狩猟という生活文化は、肉食獣としての生活の場(ニッチェ)の獲得であり、採集生活は草食獣としての生活の場の獲得である。牙を持たない人類は牙を持たないゆえに、その生活の中で武器という悪の根源の一つである道具を発明したけれど、まだまだ
自然と密着して生きていたのである。」
その自然はまだまだ畏怖すべきものではあるが、積極的に適応してゆくことで恵みを与えてくれる存在であると認識されてくる。畏怖から畏敬へと認識が移ってゆく。働きかければよいー恐ろしいものはなだめればよい、恵みを与えてくれるものには感謝の意を表し、礼をすればよい、そこから祭祀、まじないが生まれる。それはまだアニミズムの段階を脱しきってはいないが、集団としての生産の一側面として明確に意識されていたという点で、進んだ段階といえるのではないでしょうか。
その「生産」の在り方の、地域による相異が「人格神」の有無、或いは形態の相異をもたらしたかと
思われます。つまり、集団としての「生産」の在り方に適した意識統合が各時点・各地域で行われた、それは生きる上で有用且つ必要なことであったと。
狩猟採集の時代は、精霊認識から人格神認識への移行期と捉えられるのではないでしょうか。勿論精霊認識が完全に人格神認識に取って代わられるということは考えられませんが。
どういう社会だったからこういう人格神が成立したのかという論議と同時にこういう人格神が成立したのはどういう社会だったからかを考えることもできるわけです。
正確な分類ではないかもしれませんが、5020で挙げた人格神の諸類型を一つずつ具体的な事例について検証して参りたいとも思っています。 |
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