一杯立ち飲み屋で出会った60代のオヤジさん。すでに酔っ払い気味で大きな声で連れの人と話していた。
話してみると、かなり社会的な関心が高く、よく勉強しておりかなりの知識がある。
しかし国や家庭を強く否定しており、テレビや週刊誌から仕入れた知識を話ネタにして、“ダメだダメだ”と否定に走る。一方で孤独で不安感が強く老後・先行きの心配をして、何をするにもお金が大切だと強調していた。
少し前であれば、ただの酔っ払いだと思って避けただろうが、考えてみると、このような思考は、否定に走る旧観念思考の典型だと思った。そしてその思考を続けた結果が、周囲の対象を否定した挙句に孤独と不安だらけで、それを紛らわすために人と酒を求めてさまよう姿である。
それが人によって、酒だったり、宗教や趣味や家族だったりする。
>旧観念が恐ろしいのは仮にその言葉を心酔していないにせよ、その言葉を使った途端に対象捨象・対象否定という思考ベクトルが刻印されることです。つまりそのことによって、可能性を対象の中に探索する本来の思考は完全に封じこめられてしまいます。( 50276北村さん)
周囲の対象を否定してもなにも始まらない。否定するのは、その対象否定に向かう思考と頭に巣くう旧観念だけで十分。
そして対象に対して可能性を探索する思考回路に変えるだけでいい。その可能性が見えずに、旧観念に囚われ自暴自棄になってしまっている人や、代償充足にはまっている人ががいかに多いことだろうか?・・・・そう思うと、話しかけずにはいられない。そして気づいてほしい。
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