それでは、現実的にはどういった実現形態が考えられるでしょうか。
「昔に戻れ」ではあまりにも非現実です。
そこで登場してくるのが、久坂さんも書いているように、新たな集団・つながりともいえる、有閑層のサークル及びネットワークではないでしょうか。
近年の特徴として、趣味・遊び系ではなく、育児・ボランティア・社会的活動etcの課題を下にみんなが集まり、かつそれで充足しているのです。これは、課題も期待も排除した密室空間に比べて、遥かに真っ当な集団だといえると思います。
しかし、問題もあります。
サークルという域にとどまり、それで生活できるわけではない事。
この点は、各団体の事業化という傾向も最近強まり、徐々に皆その限界を超えようとしていると思います。実現論の「私益追求の為の仕事はお金になるが社会の為の仕事はお金にならないのはおかしい」を夫々が実践しはじめているとも言えます。
問題は、サークルという域でとどめ、厳しい評価に晒されない言い訳を残している事。自己満足に終始している事。
これは現場の人からよく聞く言葉ですが、例えば、「ボランティアだから」「無償だから」ということで手を抜いても許されると勘違いしたり、それだけで有難がられて当然と傲慢になったりする、といったような現象に表れています。また、気が向いたときにする(仕事にする気はない)のですから、自分中心にもなると思います。
サークルが役割を担おうとする為、それを事業にはしにくいという事。
これは上記の要因とも関係しますが、趣味や施しのような意識で取り組む人々がいる以上、同じ土俵でお金を貰う仕事というのは、成立しにくいのです。
タダより質が問われるようになれば変わるかもしれませんが、それには、そこにそれだけお金をかけてもいい・他にお金をかけるよりもそこの方が大事、となってからの問題です。
介護にも社会問題にも消極的で真剣には考えない人々の価値観を、そこまで持っていくのはけっこう難しいでしょう。
又、企業でも人々は、お金などの条件よりもやりがいや社会への貢献度を重視し始めています。
しかし通常の企業では、みんな従来の価値観や体制に囚われ、その本源収束を発揮することも難しい状況だと思います。
又、企業に対する警戒心や否定視が強く仲間意識も希薄な為、殊更この場では「権利」「個人」etcを主張し、何かを成すことよりも自分を守ることに意識が向かいます。
そして企業にとっても、夫々が好き勝手にやるプライベート(解脱や性)を持ち込んでもらっては困るので、それを制御して取り込む術も無く切り離すしかないのです。
限界はいつも“現代の価値観”“固定観念による不可能視”と“自分第一=エゴ”にあるように思うのです。 |
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