以前はこの「るいネット」を人に紹介する時、「難しいと思うけど」とか「最初は取っ付き難いかもしれないけど」と言った言葉を初めに口走っていた様に思います。
そこには、周りの人は決して認識欠乏、社会欠乏は高くないと思い込み、ずり落ちた立場で話をしなければ理解してもらえないのではないかと言う意識があったのだと思います。
しかし、そんな言葉を付けずに、真正面から新しい認識の話を始めたほうが話が早い。意外と周りは話に乗ってくるし、「似たような事を考えていた」「そんな話がしたかった」といた反応も返ってくる。こちらが気付かされる事も多々ある。
他愛の無い世間話をするよりよほど話が盛り上がります。
そう思うと、自分が周りより、より世の中のことを考えていると言った思い込みはただの傲慢であり、現在、世の中の人々もまた社会への認識欠乏、当事者欠乏を強く持っているのだと思います。
これは「るいネット」を媒体に人と話をする中で感じた実感です。
皆こうした欠乏を抱えながらも収束する場が無く彷徨っているのではないでしょうか。
社会不全から新しい認識を求め、既成のサークルや教室にそこに何かがあると思って行くのだけれど、親和以上のものは何も無い。
新しい認識の構築を前面に打ち出した場の存在を知れば、そこに収束して行くという構造は、今は自然な流れなのだろうと実感します。
|
|