新しい人間関係の在り様を考える為に、いったん市場社会の人間関係の特質を振り返っておきたい。
農業生産の時代の人間関係は、村(武士は藩)という集団の中にほぼ閉じ込められていた。これは本源集団と基本的には同じであって、私婚制度や身分制度によって歪められてはいるが、生活の全てを包摂した縄張りと共同体験に裏付けられた、共同体的人間関係という本質は維持されていた。
それに対して、市場社会(とりわけ都市)では、その様な本来の意味での集団は存在しない。人々は縄張りも共同体験も持ち様のない根無し草の様なバラバラの個人に解体された上で、改めて家族や学校や企業やサークルという、(生活の全てではなく)ある単一の目的の為にのみ組織された「集団」に属することになる。そして、市場社会の人間関係の大部分は、その「集団」の中で形成される。
その結果、自由に選べる多種多様な「集団」に重合して属することが、まるで人間性の豊かさを保障してくれるかの様に思い込まされてきた。しかし、単一目的の為にのみ存在する「集団」とはカタワの集団であり、本来の集団の体を成していない。それを象徴しているのが学校や企業やサークルなどの自由に選べる「集団」で、自由に選べる「集団」とは、取り替え可能な存在(突き詰めれば、どうでも良い存在)である。
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