>実現論が物理法則よりも難しいのは、単なる無機的な記号とは違って、価値観念と接触してしまい潜在思念との結びつきを阻害してしまうからだと思った。だから、構造認識を価値観念として捉えていると、その後の「気付き」の可能性を閉ざすことになってしまう。(39617 西さん)
最近の皆さんの投稿を読ませてもらうと、新観念=構造認識がより鮮明に感じられます。
今までは秀作や佳作を読んでいて分かったと感じたことも、実は価値観念・規範観念で単に反応したケースと、潜在思念を実現するためにその”道具”を使い考えたことで、構造化できたと実感できた場合と2つあったんだなと感じます。
最近やっとその違いを少しは感じれるのも、後者による成功体験(仲間との協働作業、たとえばるいネットで新しい認識・コンセプトを紡ぐという作業)を通じて頭がすっきりし、その可能性を感じ取れるようになったからではないでしょうか。それは、今までの価値観念では感じられなかったと思うのです。
少しずつですが、新観念という道具を使い、日々認識を深めることで、今までの旧課題が新しい課題として感じられます。そして仲間との協働作業を通じて期待応望しあうことで新たなやりがい=活力源が得られます。そうする過程で認識仲間が広がっていくのだと思います。 |
|