また上位階層による土地の占有→私権社会化という論法にも論理の断絶がある。もともと土地は集団の縄張りであり生存手段である。したがってもし長一人がそれを占有したとしても(自分ひとりで耕せるわけでは無いので)殆ど意味が無いし、そればかりか集団の成員の不満が噴出し、集団が崩壊しかねない。また各成員間で(上位だけでも)土地を占有することも考えにくい。なぜならもともと集団全体の生存圏であった土地を各人が占有することは、各成員を分断しそこに遠心力=分裂のベクトルを生じさせる。つまり集団の統合力を弱めるだけである。
したがって以上より、私有はある集団が他の集団を支配下に置き、他の集団の土地を分配する場合しか考えられない。しかし、それでも占有や私有は闘争上の結束において遠心力を生じさせ集団を弱体化させる。従ってそれが成立するためには、闘争過程ではなく生殖過程で既に集団に対する遠心力が働いていたとしか考えられない。つまり集団内での生殖集団の分離=私有婚家族が成立しその要求に従う形で、私有婚家族の活力を引き出すために行ったと考えられる。
以上より、農耕が私有に結びつくためには2つの条件、つまり他の集団に対する掠奪と支配、そして私有婚家族の登場が必要になる。
(実際私権文明はシュメールや、竜山など掠奪闘争→覇権闘争を経験した地域にしか登場していない)
歴史の学説が論理に飛躍があるのは学者達が圧力不在の大学空間におり、同類闘争の圧力やとりわけ組織統合(論)に対する視点が全く欠落していることに起因するのであろう。 |
|