では、初期人類はどのようなものとして精霊を捉えていた(措定した)のであろうか、後に登場する言語にそれを解くカギを見ることができる。
例えば「地、血、乳、稚、知」はすべて「ち」という音声で表される。つまりこれら一見全く違うものに共通する「何か」(おそらく命や、命の源というあたりか?)を感じ、それらを包括して「ち」という言葉に凝縮させたということになる。
「見、看、味、身、実」=「み」も同様で、おそらく実、身は「エネルギーや命の源が結実したもの」を示すと思われるが、同時にそれらを把握する行為(見、看、味)を表していると思われる。このように「み」という言葉(音声)で、一見異なるものを大きく括っている。
これらは初期の観念や精霊の原型を色濃く残していると思われる。
これらの特徴は、一見違うものを大きく括っている(包括する)点にある。つまり初期人類は一見異なる現象の奥深くに、共通する精霊(エネルギー)を見て取った。
このように事象を幅広く括ることが可能であるのは、いきなり宇宙全体のエネルギーを捉えることができた(宇宙全体を一括りにした)という一体回路の特性に由来する。
もちろん、このように五感では全く異なるものを一括りに包括できるのは、他の動物にない人類の認識機能の固有の特性である(この認識法を人類固有の「包含思考」もしくは包含律と呼ぶ)。
このように、一体回路発の包含思考により、人類は、共通項のあるエネルギーの塊を段階的に括りなおしてゆき、そのたびに精霊を措定することで、具象(により近い精霊)に近づけていったと考えられる。このように組換え自在なことも本来の観念回路の特性である。
このようにして、人類は、分裂していた一体回路と本能回路・共認回路を一体回路発の包含思考によって結び付け、観念回路を形成していったのだろう。 |
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