以前紹介した紀元前4000年の集落ケルン・リンデンタールリンクと並行して、ヨーロッパでは杭上住居跡群も見つかっています。エリア的には、ケルン・リンデンタールがドナウ川流域だったのに対して、杭上住居跡群はアルプス山脈周辺とやや異なっています。その特徴を見ていきます。
・年代的には紀元前5000〜前500年。アルプス山脈周辺に6か国111件に及ぶ史跡が残っており世界遺産に指定されている。イタリア19件、オーストリア5件、スイス56件、スロベニア2件、ドイツ18件、フランス11件。
・杭上住居とは、陸地や湿地、湖や川の中や周辺に多数の杭を打ち、その上に板を張って床とする高床式の住居。
・傾斜地や水辺などにも建てることができ、地面と床を離すことで水や害虫・害獣の侵入を手軽に防ぐことができる。
・後期には漁撈も行なったが、むしろ湖上に立てた当初の理由は、外敵に対する警戒や、農業に適した土地を住宅地に割かなくてすむようにするなどの理由であったと考えられている。
・湖や川の流域の変化によって水没したり乾燥したりして集落は5〜20年ほどで移転していたようだが、中には50〜100年ほど存続したと見られる集落も発見されている。
・住居以外に石器や青銅器・鉄器・陶器・火打石・金・織物・帽子・靴・網・箱・船・穀物・果実・貝・鳥の卵・動物の骨・ハチミツといった遺物が発見されている。
・紀元前3400年頃の車(車輪)や紀元前3000年頃の織物など、ヨーロッパ最古級の発見も少なくない。
・多くの集落で農業が行われており、小麦や大麦の栽培の跡が見られる。動物の家畜化も進められ、ブタやヤギ、ヒツジの骨が発見されている。夏は山の牧草地で放牧を行い、冬は家畜小屋で舎飼(畜舎で飼料を与えて家畜を飼うこと)を行っていたようだ(移牧)。
・紀元前2200年ほどまでさかのぼるスロベニアの杭上集落ではヨーロッパ最初期の冶金(金属の製錬・精製・加工・製造)の証拠が出土しており、新石器時代から青銅器・鉄器時代へ移行する様子がうかがえる。鉄が普及する紀元前800年頃になるとこうした水辺の集落は急速に姿を消していく。
時代的には、略奪闘争の開始前から開始後に渡って存続している。弓矢発明後の人口増加に伴って、アルプス山脈の周囲で平地が少なく、浸水のおそれのある水辺や沼地まで人類の定住域が拡大した時代ではないか。
居住条件が悪い辺境の地であったために、略奪闘争の到達が遅れ、略奪闘争開始後も存続できたのかもしれない。鉄の普及と同時期に姿を消しており、鉄器の登場で略奪闘争が激化し辺境にまで略奪が及び、姿を消したとも考えられる。
以下参考
■アルプス山系の先史時代杭上住居跡群リンク
■アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群リンク |
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