前回は略奪闘争以前の集落として、チャタル・ヒュユク(トルコ)373438を紹介しましたが、世界に同様な集落がないか調べてみました。ヨーロッパでも略奪闘争以前の集落がドナウ川沿いに広がっていたようです。
・ヨーロッパの新石器時代ダニューブ文化期に属する。炭素14法による測定年代で前4000‐前3000年代。
・線帯文土器Linearkeramik,靴に似た形の磨製石斧,地中海産巻貝の装飾品,ロングハウス(長さ40m,幅6〜7m),側面屈葬による埋葬という共通した特徴をもつ。
・チェコのビラニイ(プラハ東南東60km),オランダ最南部のシッタルトSittardなどの集落遺跡も知られている。
・村の規模全体が,北集落(2670u)と南集落(8270u)で合わせて50軒の長い家屋(長さ30m以上,最大幅7m)が見いだされた。
・そこでの一般的な住居は,大型の長方形平面で屋根は切妻,編枝塗壁を立ち上げ,杭の上に低い床を張った一種の高床住居であった。
・一部に土間を設けて家畜を飼育していた。
・一方では竪穴住居も採用されていたが,その大きさや形態は一定していない。
・焼畑農耕を基盤とする農耕を営んだと考えられる。麦を栽培し,牛,豚などの家畜を飼った。
・西南アジアで成立した新石器文化が,西ヘ向った流れは,ギリシアなどの地域からドナウ川流域へ入り,ドナウ川沿いに,本流,支流を問わず広がっていった。
・現在の証拠は新石器時代の物質的文化が西アナトリアを経由してヨーロッパに伝わり、そして北アフリカや黒海の草原地帯の文化との類似点はヨーロッパからの伝播によるものであることを示唆している。
・具体的な年代にかかわらず、多くのヨーロッパの新石器時代のグループは基本的な特性を共有している。たとえば小規模の生活、平等主義と推定されること、家族を基本とする共同体、家畜動植物に狩猟と野生植物の採集を加えてやっとの生活、そして手作りの、すなわちろくろを使わず作られた土器などである。
・多くの違いも存在する。いくつかの南東ヨーロッパの新石器時代の共同体は3,000人から4,000人が固く防備された集落で暮らしていたが(たとえば、ギリシアのセスクロ)、これに対してイングランドの新石器時代のグループは小さく(推定 50から100人)遊牧生活をしていた。
ヨーロッパの新石器文化は、先に紹介した、チャタル・ヒュユクの影響を受けているようです。全体的には平等な共同体社会だったようですが、固く防備された集落も見つかっており、人工の増加に伴って徐々に緊張が高まっている様子も見受けられます。
ケルン・リンデンタールの詳細な情報は見つかりませんでしたが、高床住戸と竪穴住居が混在していることから、貧富の差が発生し始めている可能性もあります。
詳細は以下を参照
■ケルン・リンデンタールリンク
■ドナウ文化リンク
■竪穴住居リンク
■新石器時代のヨーロッパリンク |
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