原始共同体社会
373478 縄文時代の集団形成 火と土と水との暮らし方
 
匿名希望 21/12/25 PM03 【印刷用へ
縄文時代の暮らしと聞いて頭に思い浮かべるのは竪穴式住居。建物そのものの性能を調査する前にそこで暮らしていた人たちがどういう外圧と闘っていたか、そのためにどういう集団をつくり暮らしていたかを調査したい。


縄文時代の暮らしと集落
竪穴住居のなかには、囲炉裏と祭壇、土器や石器などの道具類、木のお椀やざる、栗や干した魚、肉。それから、縄や衣類を編むための植物の繊維などがありました。

中2階をつくってそこに食料を置き、下で火を焚いて、乾燥させて保存していました。寝るときは、むしろや動物の毛皮を敷くんですが、縄文時代の中期になると、柱の外側に床張りの寝床をつくっていたようです。ベンチのような、板の間です。夏は壁際の涼しいところで、冬は火の近くの暖かいところで寝ていたのだと思います。
10畳ほどの広さの竪穴住居には、3〜5人が生活していたとされています。ただし、ひと家族が3〜5人というわけではなく、集落は「男性の家」「女性の家」「若者の家」の3軒で構成されていたのが特徴です。

発掘調査で何十軒も出てくることがありますが、それは何世代にもわたってそこに集落がつくられてきたという話で、同時期に建っているのは3軒なんです。どの住居にも囲炉裏がありますが、しっかりとした大きめの住居には、女性と子どもが5〜6人。隣りの住居には男性が2〜3人。さらに別の、ひとまわり小さな簡素な小屋には、まだ独り立ちをしていない若者が2〜3人。合わせると、だいたい10人くらいがひと集落のイメージです。

考えてみると、核家族が社会現象となったのはごく近年のこと。また、世界の民族学研究においても、若者の住居が別であることは珍しくないそう。

子どもは女性の家で育てられますが、男の子はやがて狩猟を覚えるために男性の家に出入りするようになる。自我が成長するにしたがって、外へ出てはまた帰ってくる、大人と子どもの境界をさまよっているような存在です。居心地のいい“どちらでもない”期間と場所がある。そこで性教育も含めて、生きる術を学んでいたのでしょうね。

また、集落は、暮らしに必要不可欠な「水」がすぐ近くにある場所につくられました。

八ヶ岳周辺には遺跡がたくさんありますが、川がたくさんありますし、明らかに沢を意識した場所に集落がありますね。また、標高900m前後に遺跡が集中しているのですが、それは八ヶ岳の伏流水が湧き出ている標高なんです。川が近くにあれば上流でも下流でも「水」は確保できるのに、あえて冬は寒いとも思える、標高900mの伏流水が湧き出る場所を選ぶ。そこには、縄文人の水に対する何かしらの信仰があったのでしょうね。

竪穴住居は、夏は涼しく、冬は暖かい?
それでは、竪穴住居の住居としての性能は、どのようなものだったのでしょうか。

まず、半地下にすることによって、ある程度「温度」を保っていました。深ければ深いほど、土の温度は一定(17度〜18度)になります。そのため深さ1mでも、外気温の影響を受けにくい状態を保つことができるのです。現在でも床下収納で食料を保存することを考えると、イメージがつきやすいかもしれません。
つぎに、住居のなかに炉を置く、つまり火をつかうことで「湿度」を保っていました。

日本は湿潤な気候なので、湿度が高いですよね。季節に限らず、住居内で火を焚き続けることで、湿度を下げていました。冬は、火を焚き続けていることで熱が逃げにくくなると思います。
竪穴住居の頂部には、排煙や換気のための「換気口」がありますが、常に住居のなかを煙でいぶすことは、食料の保存だけでなく、竪穴住居を構成する柱などの防虫、防腐対策にもなります。これらのことからも、火を絶やさないことが重要だったことがうかがえます。

よくよく考えてみれば、江戸時代の住居であっても、外と中を隔てているのは、障子と薄い雨戸だけ。縄文時代の竪穴住居のつくりはもっと簡素ではありますが、縄文人はそれ以上快適な暮らしを知らないわけです。むしろ、それがベストだった。冬は、生きるのにギリギリの寒さだったかもしれませんが、地面を掘ること、火を焚き続けることはもちろん、火や水や土といった、いろいろな自然の力を総動員して、自分の命をつないでいたのだと思います。

火を絶やさない、もうひとつの理由
縄文時代において、火がもつ力は2つあると小松さんはいいます。
火が持っている力のひとつは、便利、快適、安心。熱として利用する、あるいは野生動物やまがまがしきものが寄ってこないなど、現実的な便利さがある点です。
もうひとつは、神話的な領域なんです。神話の世界において、火というのは生と死の境にあるものです。命を奪う火、同時に新しい命を生み出す火。すべてがそこから収斂(しゅうれん)したり拡散したりする、その核になるのが火です。家のなかに囲炉裏を置くのは、湿気をとるために必要だったのではなく、火がそこにあるということが重要で、それは絶対的なものなんです。だから絶やすこともありませんでした。

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