前回の投稿、「人類の社会と住まいの歴史373173」の中で、略奪闘争の開始前である紀元前8000年に泥レンガによる集合住宅が作られていたリンクことを知り、どんな住まいだったのか、どんな社会だったのか調べてみました。
・最大で総人口10,000人。平均的には5,000人から8,000人ほど。
・一部屋が平均25u程度の土レンガでできた集合家屋。
・通路や窓はなく、密集した家々の天井の穴からはしごを使って出入りする。
・屋根穴はライオンなどの猛獣や外敵の侵入を防ぎ、換気口の役割も果たしていた。
・上層において、農業を行い家畜を飼っていた。
・小麦や大麦の他、エンドウマメ、アーモンド、ピスタチオや果物などが栽培されていた。
・牛や羊の骨が見付かり、動物の家畜化が始まっていた。
・狩猟で得られる動物の肉は重要な食料。
・王や神官の家屋は発見されておらず、社会的な階層分化がない相対的に平等社会。
・土器を作り、黒曜石で石器を作る。
・石器は、地中海産の貝やシリア産のフリントなどの物資と交易
・女性の土偶、墓や壁画など、豊富な宗教的シンボリズムをもっていた。
・神殿と同定できる遺構はいまだに確認されていないものの、祠堂、公共の会議場と思われる部屋は見つかっている。
比較的、日本の縄文時代と近い社会のように思われますが、人口規模は平均5000〜8000人とかなり多くなっています。農耕が本格的に始まったからなのか、ライオンなどの強い外的から集団を守るためなのか、追求ポイントになりそうです。
詳細は以下を参照ください
■チャタル・ヒュユクリンク
■チャタル・ヒュクリンク
■アナトリアとは?文明の発祥地である小アジアの歴史や遺跡リンク
■アナトリア-新石器時代リンク
■チャタルヒュク| トルコの遺跡リンク |
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