恋愛って、何?結婚って、何?
373160 「結婚形態と歴史」について考える1
 
姜ヨセフ ( 30 東京都 会社員 ) 21/12/12 AM02 【印刷用へ
「神前結婚式」は、明治三十三年(1900年)の大正天皇の結婚式が最初だそうです。たかだか100年程度の歴史しかない非常に歴史の浅いものなのです。これでは日本の伝統的な結婚式とは呼べません。では、それ以前、一般の日本人は結婚においてどのような儀式等を行なっていたのでしょうか。「結婚」は古くから存在していたようですが、今のような結婚式の形は全体の歴史から見るとかなり最近になってからのようです。
リンク

そもそも原始時代は、男女が気ままに結婚する「共同婚(きょうどうこん)」又は「集団婚」と呼ばれる形態だったようです。古代では「共同婚」により集団で性を享受する「村内婚」だったたようです。この婚姻形態は、ひとことで言えば複数の男と女がグループで婚姻関係を結ぶもので、日本を含めて狩猟採集時代から歴史的に長く行われていたかたちだそうです。

「村内婚」とは、同一村落内で行われる婚姻をいい、村外婚と相対しています。かつての村(むら)は独立性、封鎖性が強く、それが婚姻にも反映していたようです。村の男女は少年期から青年期にかけて「ツレ」、「ドシ」、「朋輩(ほうばい)」などとよばれる同輩集団を組み、集団同士の交際を展開していました。

「村内婚」は、村の生産基盤を安定化させる上で重要なシステムだったようです。はじめは村内で行われていたのが村外にも広がり、生まれた子は母のもとで育つようになりました。これが「母系氏族制」の始まりです。「はらから(同胞)」とは、古くは「はらがら」といわれ同じ母から生まれた兄弟姉妹のことだったのです。つまり、父親は特定できませんが母親は分かるということです。母親をよりどころにして「氏」、「部族」が形成されたのです。

その頃は、儀式としての「結婚式」は行われていなかったのではないかと考えられます。やがて、古墳時代になると夫婦が結婚後も同居せず、夫が妻の家に通う「妻問婚/妻訪い婚(つまどいこん)」または「通い婚」という形になります。「妻問婚」とは、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などの書物に記されているように、自由恋愛による結婚だったようです。しかし、夫婦は別居しており、男が女家の窓や戸口のすきまなどから呼んだり、男の求婚歌に女が答歌したりするなどの方法で行われていました。結婚式という形が出来上がる前の時代と言えるようです。

『竹取物語』にも、五人の貴族が美しい「かぐや姫」の「婿」になろうと、あらゆる手段を用いて「よばい(夜這い/婚い)」、つまり求婚を試みたことが書かれています。はるか昔から男が女に求婚するかたちだったようです。この点は現代でも大きくは変わっていません。このように「結婚」は、単なる男女の結びつきでしかありませんでした。

奈良・平安時代になると、次第に「婚礼(結婚式)」と言う形をとるようになってきます。婚礼は、最初は「露顕(ところあらわし)」として発生しました。これは、男が女のもとに通ってきて寝ている現場を、女家の人たちが見つけて明らかにし、餅を男に食べさせて、男を女家の一員とする「儀式」でした。

のちにこれは忍び通いの三日目ぐらいにするようになったので「三日餅(みかのもちひ)」(三夜餅などともいう)といわれます。女家の親が婿を取る、いわゆる「婿取り」の儀式です。「三日餅」の儀式は、奈良時代頃に農民の間で発生したと考えられています。この儀式は、いわゆる「結婚式」であり、奈良時代にはこの形態に移行していったようです。

この「結婚式(婚礼)」とは、結婚の儀式で広義には、婚約儀礼・披露宴など婚姻に関する儀礼の総称を指します。そして、平安時代になると、文献には「婿取り」の語がみえ、「妻問婚」は「婿取婚(むことりこん)」、「婿入り婚(むこいこん)」に形を変えはじめたようです。「露顕」、「三日餅」などの「婿取り」の儀式は、貴族の間でも儀式化、多様化し、諸行事が営まれるようになりました。
婚姻成立祝いを妻方であげ、以後、夫は妻方に住み込むか妻訪いの形で婚姻生活が営まれます。一定期間ののち夫方に移るので、「一時的妻問婚」ともいいます。『源氏物語』に描かれているように、夫が妻の実家に会いに行く通い婚を経て、同居するのが一般的とされていて、夫が訪ねてこなくなれば、即離婚。夫が愛人をつくっても、どうすることも出来無かったそうです。この頃の習慣が意外なところに残っています。「盛り塩」です。貴族たちは「牛車(ぎっしゃ)」で女性宅を訪問していました。そのため、女性は牛が寄り付くように玄関に塩を置いたのです。これが、花柳界に受け継がれて、客を呼ぶ縁起となったのです。

鎌倉時代頃になると、婿取婚の形をとりながらも、相当期間の後に夫方に居住するなど、次第に母系型家族の形が崩れてきます。
それに伴ってか父権が絶対的なものとなり、武士の家に妻が嫁入りするようになってきます。家父長制の成立に伴い、この頃から、女性の地位が低下しています。そして、この習慣は社会全体に広まるようになります。

室町時代になると「嫁取婚」が行われるようになったといわれ、文献にも、「嫁取り」、「嫁入り」の語がみえはじめます。嫁入りすることにより、極端な表現をすれば妻は夫の所有物と考えられるようになり、妻の不倫は夫への反逆として厳しく罰せられ留ようになります。家と家との結びつきという色が濃くなり、武家などでは当たり前のように相手と同盟を結ぶ「政略結婚」が行なわれるようになります。
 
List
この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_373160
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
【縄文再考】研究者の多くが矛盾した立場をとる単一起源説は東アジアを説明できない 「縄文と古代文明を探求しよう!」 21/12/16 PM09

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、50年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp