私権支配の社会は、私権強者が弱者を支配する社会。支配=力の原理で社会を統合しようとすると、必然的に抑圧が生まれ、不満分子や反乱分子が生まれてくる。この反乱分子をいかにおとなしくさせるか?統合するか?という事が、支配階級にとって最大の追求ポイントであり、社会統合上の最大の問題である。
■武力支配時代における共認統合
武力支配時代には、王族がその武力で私権を独占(=人々の生産した富を搾取)していた。その結果必然的に被支配階級に広がってゆく抑圧や不満解消期待を受けて生まれてきたのが「宗教」である。西欧ではそれがユダヤ教→キリスト教であり、アジアでは仏教、儒教であり、王権が強まるほど宗教勢力も拡大していった。
そこで支配勢力=王族は、宗教勢力に「知識階級」としての身分を与え、支配階級に取り込むに至る。
王族によるお墨付きを得る事によって、【教会】=思想を広める場を確保し、より多くの信者と私権を獲得することができた宗教勢力は、武力支配によって生じる抑圧や不全を解消するだけでなく、宗教勢力が王権支配を正当化する側に回ることになった。しかも、生まれに関わらず、信心しさえすれば、身分を手に入れられる共認機関=教会は身分序列の上位になりあがる抜け道ともなった。そしてその抜け道の存在自体も、支配・抑圧に対する不全のガス抜きとなった。
こうして、もともと支配階級にとって反乱分子だった宗教勢力は、支配階級に都合のいい観念を人々に植え付ける共認支配勢力に反転した。
■キリスト教社会における共認統合
時代が下ると、人々の安定期待の高まる一方で、武力支配勢力が分散拮抗した西欧では、キリスト教の共認支配力が武力の支配力を上回るという事態が発生する。キリスト教絶対支配の時代の到来である。
最大権力者となったキリスト教勢力に私権が集中し、そのあり様に、私権を求める人々や最大権力者の座を奪われた王族たちは不満を募らせた。教会勢力は、王族や貴族を含めたキリスト教徒たちを統合する必要に迫られ、そこで登場したのが、教会の支配体制を論拠づける教授を育成(輩出)する【大学】である。リンク
キリスト教の公認がなければ支配体制を維持することができない王族・貴族たちや私権を求める人々は、キリスト教社会での発言権と私権を獲得すべく、大学に通った。
そして、大学は学びの証として「教授免許」や「学位」=キリスト教社会での身分を与えた。学位を得た者は教授としてキリスト教徒と聖職者を統合する権力をもつので、キリスト教支配に都合のよい思想を指導・拡散する共認勢力となっていった。
■ルネサンス(資力支配)における共認統合
お金第一となり、市場を拡大する力が制覇力となり、市場で資力を蓄積してきた商人たちが市場社会での権力者となる。
支配(=私権強者)の新勢力である商人たちは、市場を拡大すると共に市場社会を支配→統合するために独自の共認体制を構築していった。そこで生まれたのが【学会】である。リンク
時代錯誤となりつつあり、社会不安を突破できないキリスト教勢力に代わって、人間主義や自然科学を共同で追求する場であった学会は、論文やそれを広める雑誌によってその研究者に「学者」としての身分・権威を与えた。
また、パトロンからの支援によって学者たちの研究費や生活費は賄われ、学者としての権威が大きくなればなるほど、支援金が集まるので、科学者たちは学会(=パトロン)で認められる論文を書くようになる。こうして学者たちは、市場拡大に都合のいい技術や思想を世に発信してゆき、その思想や技術が宮廷サロンなどを通して王侯貴族に広まり、王侯貴族をパトロン=資金源へと組み込んでゆく。
■思想で社会をまとめるとは
思想で社会をまとめるとは、支配統合上のライバルや反乱分子に知識階級としての身分を与えることで支配階級にとりこむということ。ひとたび支配階級に取り込まれたら、反乱分子も支配を正当化する側に回ってゆく。
つまり、思想家に、身分を与えれば、そこに権威が生じ、人々の意識も私権も集まるようになる。そして、一度支配階級に取り込まれた思想家は、私権を与えてくれる支配体制を正当化し、人々を支配に順応させてゆく。
この反乱分子や私権闘争上のライバルを、最大の味方に反転させることこそ最大の共認形成であり、反乱分子やライバルを取り込んで骨抜きにするからこそ支配体制を安定させる=社会をまとめることができるということだと言える。
それに対して、奥の院が糸を引いていると思われる宗教改革やそのあとに続く社会革命は、分裂のために思想を使っている。そのベクトルの違いが、やり口や構造にどのような違いを与えるのか?これから追求していきたい。 |
|