十字軍を通して、騎士団を組織し、陸・海の交易インフラと金融システムを構築した奥の院。しかし、その市場拡大の恩恵は奥の院のみならず、商人全体に影響を及ぼした。その結果、モノづくり→交易で資力を蓄積する産業資本が登場した。中でも、その資金蓄積が突出したのが、メディチ家・フッガー家・ヘッセン家であるが、その後奥の院の資金蓄積を上回り、大英帝国の名のもとに世界経済をけん引し、近代国家・市場社会の骨組みを築いてゆくのはヘッセン家である。ヘッセンは、その他の産業資本と何が違ったのか?
■王権支配の身分序列をのし上がったメディチ家・フッガー家
メディチ家は、毛織物の特産地だったフィレンツェにおいて、毛織物の染色に使う薬品であるミョウバンを筆頭に、医薬品や香水などを開発・売買することで頭角を現していった商人だ。原材料は特産地で安く仕入れ、フィレンツェで付加価値を付け、遠隔地で高値で売りさばく遠隔地商法や交易によって資力を拡大していった。加えて、遠隔地にある各拠点を利用して、両替商や銀行・金貸し業を営み、莫大な資力を蓄積すると共に、その資金力でローマ教皇の地位にまで上り詰め、その権力と財力を獲得してゆく。
同じく、フッガー家も毛織物業→遠隔商法→金貸し業へと発展してゆく。その中で、抵当として鉱山を手に入れ、金・銀・銅を採掘→加工して莫大な財を成し、金貸しとしても頭角を現してゆく(当時、銀は硬貨から銀食器など幅広い需要がある最重要金属だった)。そして、王族の金庫番や貨幣づくりを担うことで地位と権力を獲得していった。
両者に共通するのは、モノづくりで財を成し、その財と拠点を基に金融屋へと転身し、さらにその財力で国家=王族支配の身分序列の枠内で上位の地位を獲得したということ。つまり、メディチもヘッセンも、王族支配の国家体制を前提とした私権拡大の道を究めていったということ。
■近代国家の骨格を作ったヘッセン家
ヘッセン家はドイツ騎士団出身で、ドイツ→オランダを拠点に、傭兵業や毛織物業→遠隔商法・海運業を大きな生業としていた。しかし、そこに王族=ハプスブルクによる干渉・課税の横やりが入る。そこで、ヘッセン家は王族支配から脱却し、全力で資力を拡大すべく当時オランダを支配していたハプスブルク帝国からの独立を実現した。
独立してからのオランダには、殖産興業と商業中心の体制に惹かれて商人や毛織物業者たちが集結してくる(ヘッセンが集結させたともいえる)。そして、風車や造船などの機械工業を発展させ、その技術力を土台に新農法を開発し、農地に適さず誰も住みたがらないような湿地だったオランダはヨーロッパ随一の工業都市となっていった。
その工業生産力を土台にした交易事業により、オランダは世界商業の覇権を握り、大航海時代を先導してゆく存在となり、その莫大な資金蓄積で金融業にも進出する。
しかし、オランダはまだハプスブルク帝国や奥の院の騎士団ネットワークと地続きであり、王族支配体制の名残もあるし、いつ干渉や攻撃を受けるとも限らない。従って、ヘッセン家はこの王族支配から脱却し、殖産興業で更に市場を拡大したオランダでの成功体験を土台に、誰の支配も及ばない辺境の地=イギリスに進出してゆく。(⇒名誉革命リンク)
そして、旧体制=王族支配のしがらみから抜け出したヘッセンは、工業生産によって世界の覇権を握り、世界に市場を拡大してゆく。こうして工業生産力が資力や武力を規定する近代国家の骨格が築かれていったのだ。
この資力拡大⇒旧体制からの脱却→農業生産から工業生産への転換という新しい勝ち筋を見出し、近代化をけん引したのが、ヘッセン家の強さだと言える |
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