>次に“受け入れ体質”の方ですが、これは日本列島という地理的要素が大きいと考えます。(36228)
元々の問題である縄文人の“友好を旨とする受け入れ体質”の出所は、精霊信仰でも「自然との共生思想(そもそも縄文人はもっていませんが)」でもありません。本源集団(共同体)における仲間の助け合い精神、その原点は外敵に襲われた仲間を助けるという危機救助の精神ではないでしょうか。この単位集団内の共認原理を、他集団の人間に対しても延長適用すると“友好”“受け入れ”となります。
大陸から切り離された地理的要素も無関係で、大陸においても極限人類や採取人類は同様の体質・価値観をもっていたはずです(近年まで現存していた採取部族がそうでした)。地理的要素がその後の日本人の体質に影響するのは、舶来信仰が強いという点です。
舶来信仰は“友好”“受け入れ”体質をベースに形成されましたが(渡来人を敵として戦闘を始めたなら生まれなかった)、世界の僻地故に、大陸からやってきた部族は常に進んだ文化をもっていることから生まれます。その最初が弥生人の渡来文化であり、その後大和、中国、明治の西洋、戦後のアメリカ信仰と、一貫して舶来信仰は働き続けています。
>受け入れ体質の奥にあるどれだけ受け入れても決して変らない強いものがあるのではないかと思うのです。(同上)
「変わらない強いもの」の究極の正体は、現在『社会統合』で議論されているところの、様々な外圧に対する“当事者意識”が長く残存したことではないでしょうか。社会圧力=私権闘争圧力に関してのみは当事者ではなかったでしょうが、それ以外の自然圧力、村内のもめ事、隣接する村とのいざこざなどあらゆることを自分たちで解決する(支配者層は関知しない)自治権を持っていたことが大きいと思われます。勿論、村(集団)内は本源共認が残存していたことが前提になります。
縄文人の本源性解明が“当事者論”とつながる予感がしています。
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