近代市場の拡大
360815 働く女性、躍進までの歴史1/3
 
姜ヨセフ ( 28 東京都 会社員 ) 20/10/08 AM09 【印刷用へ
今回は、過去の働く女性が、どのような環境で働いてきたのか、環境の変化に応じて、どのように働き方が変わったのか、働く女性・躍進の歴史を振り返っていきたいと思います。
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<男女雇用機会が均等になるまで>
■第1期 日本の近代化を支えた女性たち<1867年 − 1910年>
日本が近代国家をめざし、政治、経済、社会の諸制度の変革を進めるなかで、近代産業の発展を主に支えたのは、製糸・紡績を中心とする繊維産業でした。明治政府が各地に設立した官営工場の一つである富岡製糸場では、全国から士族出身、かつ初等教育卒の若い女性を集めて伝習工女(技術指導者)を養成し、彼女達が生産の担い手となりました。待遇や賃金は学校の校長並みで、食事や住居等の手厚い福利厚生があり、彼女達は使命感をもって新しい技術を学び、郷里へ帰ってその技術を伝えました。

その後各地につくられた民営の製糸工場で工女として働いたのは、主に貧しい農家から集められた10代から20代の女性でした。紡績工場でも、その生産の主力となったのは若い女性達でしたが、大多数は農業に従事し、家事・育児を担いながら過重な労働に携わったり、義務教育も終えずに幼いうちから「子守・女中奉公」等に出たりする女性でした。彼女達は昼夜交代制の12時間労働かつ低賃金、食事休憩は15分で、不衛生な宿舎で結核に感染して死亡するケースがあったり、逃亡を図った場合は殴打・監禁・裸体引回しの懲罰があったりと、劣悪な環境での労働が求められました。

教育や医療の分野で近代化が図られると、専門教育を受けた女性達が教師や看護婦、医師等の職に就き、少数ながら専門職のパイオニアとして活躍しましたが、この時代は民法により「家」制度が法的に確立し、女性の地位は男性に比べて極めて低く位置づけられていました。

■第2期 「職業婦人」の誕生 <1911年 − 1929年>
第一次世界大戦や関東大震災等を経て、日本は工業化と都市化が急速に進みました。経済の発展に伴って新しい仕事が生まれ、女性の就労機会が広がり、働く女性の増加は「職業婦人」の裾野を広げていきました。

第一次世界大戦期の急速な経済発展により、都市では企業や官公庁で働く事務員等の需要が増加し、事務員やタイピスト等の仕事に就く女性が増加しました。このような新分野の仕事に就いた女性たちは「職業婦人」と呼ばれました。職業婦人たちの多くは、高等小学校や高等女学校を卒業後、結婚までの一時期、就職して働きました。女性が働くことに対する偏見は根強いものがありましたが、彼女達は周囲から先進的な女性と見られることもありました。後にOLと呼ばれる女性事務員第一号は、1894年に、三井銀行大阪支店と龍ヶ崎町役場で誕生したそうです。

しかし、女性は社員にも準社員にもなることはありませんでした。大企業は高等教育を受けた女性を採用せず、中等教育女性が短期勤続の事務員へ採用されるのみで、戦前の日本企業は学歴による「身分制」が存在していたのです。

■第3期 戦時の女性労働<1930年 − 1945年>
恐慌から戦争に続く昭和前期、女性は男性に代わって労働の担い手となりました。1930年に昭和恐慌が発生し、都市も農村もこれまで経験したことがないほどの困窮に陥り、特に農村への打撃は大凶作と重なって大きいものでした。昭和恐慌からの脱出過程で、日本の産業構造は軽工業から重化学工業中心へと移行が図られ、都市は徐々に恐慌から立ち直りましたが農村の困窮は長引きました。

1937年の日中戦争の勃発以降、1938年の国家総動員法の成立を経て、国民の生活は戦時体制へ突入し、衣食から思想まで統制は生活全般にわたりました。この時期、次々に徴兵されていく男性に代わって農業や工業をはじめ様々な仕事を女性が担い、未婚女性や女子学生までが動員されて労働に携わるようになりました。1942年の国民動員計画では、女性の勤労動員を進めるべきとし、書記的または軽易な業務等、女性で代替するのが適用なものについては男性の就業を禁止または制限されました。1943年の労務調整令改正で、一般事務補助、現金出納係、店員売子、外交員、集金人、出改札係、車掌等17職種で男性の就業が禁止されたことにより、女性のホワイトカラー進出が加速しました。

■第4期 戦後の改革と女性達<1945年 − 1955年>
民主主義国家として新たなスタートを切った戦後、様々な改革が行われ、長年の女性の願いが実現しました。戦後しばらくの間は社会と経済の混乱が続き、深刻な食糧難、生活難に人々は苦しめられたが、戦争が終わった解放感と新しい時代をつくるという希望にあふれていました。

戦後改革が進められる中で、婦人参政権の実現、男女平等を定めた新憲法制定、「家」制度を廃止した民法の改正、教育の機会均等、男女共学を定めた教育基本法制定等、女性の権利拡大が図られ、女性の社会進出と地位向上への基本的な条件が整えられました。

やがて朝鮮戦争(1950〜1953年)をきっかけに戦争特需が急激な経済発展の契機となり、その後輸出が拡大し、日本経済は本格的に復興への道を歩み始めました。糸へん景気・金へん景気と呼ばれる好況の下で労働力需要が増大し、繊維産業における技能工、生産工に加えて各産業分野にわたって事務・販売等の仕事に従事する女性が増えました。それまで女性に門戸が閉ざされていた職業や戦後新しく登場した職業にも女性が進出するようになりました。

1947年の労働基準法では、女性労働者にも労働時間等の保護規定が適用されるようになりました。これにより、満18歳以上の女性には1日2時間、週6時間、1年に150時間を超えた時間外労働の禁止、休日労働の禁止、満18歳に満たない女性は午後10時〜午前5時までの労働禁止等が実現しました。
 
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