いま、みんなが求めているのは「本物の活力を生み出す場」だと思う。
ちょっと前の「W杯フィーバー」を<得体の知れない危機感>として捉えた瀬川さんの投稿(34369)もその通りだと思うのですが、本質的には、「活力欠乏?」というか、「活力の有る(を生み出す)場への参加欠乏」が鬱積していて爆発したような感覚を持っています。又、これは<古い現実は影が薄くなってゆく一方> (35273)であって、旧い現実の場は全く活力を生み出せない事の証明である、というふうにも考えられます。(だから、マスコミの音頭取りによって、代償としてW杯に収束した、のだと思う。しかし、所詮、代償であって、2〜3日でフィーバーは終わってしまった。)
前置きが長くなりましたが、この「活力を生み出す場への参加欠乏」に応える事が“るいネット”に期待される大きな役割であると同時に、強力な武器になると思います。
<『認識形成の場』には基底的な『判断の土俵』や『人収束⇒認識収束』などの新しい現実が、これまでになかったエネルギーとパワーを与えてくれる。> (35273)
このエネルギーやパワーの出所は全て、人々が本来持っている「本源欠乏」によって湧き起る、「潜在思念」なのではないかと思います。可能性に収束し、適応すべく進化していこうとする、「本源欠乏」、それに導かれて湧きでる、エネルギーやパワー、これらこそが本物の活力を生み出すのではないでしょうか?
そして、この”るいネット”の持つ活力が、人を集め、又、集まった人達が紡ぎ出す“新しい現実の認識”や“評価共認”が、充足感を高め、さらなる活力を生み出す。
”るいネット”には本源的なエネルギーやパワーが溢れてきている、だから、<影が薄くなる一方の旧い現実との闘いに勝って当然である>・・・その通りだと思います。
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