> いかに時代が変わり、中身が変わっても、『評価指標の共認』という収束=統合機能の絶対的な必要性は、不変である。 (35273四方さん)
「時代の変化」とは、究極のところ、人々が共認する評価指標が変化する、ということなのではないかと思いました。長く続いた「力」の時代、「私権」の時代が終焉を迎えつつある現在、次の時代を創るものは、次に人々に共認される最先端の「評価指標」に他なりません。
> その実現基盤は、既に『新しい潮流1〜14』やここまでの『超国家・超市場論1〜24』で明らかにしたように、充分に整っている。(同)
いかにそれが革命的に見えようとも、時代の変化というものは、その「実現基盤」なくしては(当り前ですが)実現しません。実現基盤というものはその時の現実の社会の中にあるもので、だから、時代の変化は常に内側から生じて外へ突き抜けていくものなのでしょう。
以前の29922『市場が認識闘争、評価闘争の場へ収束する』(山田さん)で語られた、武力統合から市場社会への移行も同様です。一見、「いかにお金があろうが武力で従わせればいいじゃないか。」と思います。しかしこれも、武力そのものに対する評価指標としての共認の衰退が、既に人々(武力を持つ者も含めて)の意識の中で始まっていたからこそ実現し得たのではないかと思います。
それと同じことが、現在、衰退の兆しを見せている市場の中で必ず起こる。では、今の私権に取って代わる評価指標は果たして「認識→資格」なのか。「認識形成サイト」の有料化というステップは、一方ではその確認に過ぎないとも言えるし、一方では、もしそれが新しい評価指標ならば、何であれ避けて通れない過程なのだと思います。 |
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