>もう一度、我々の置かれた状況を貫く圧力をよく直視してみよう。
(中略)
他方、顕在世界は古い私権の現実で覆い尽くされ、しかもその私権の現実はとことん制度化され、体制化(≒専任分担化)されている。
今、必要なのは、この国家や市場を解体・再統合できる様な人々の結集であり、その為の『現実の場』の結実である。あるいは(中略)『場の秩序化』=『体制化』であると云ってもよい。(四方さん35272)
今や古い私権の現実は、「秩序収束力に基づく私権法制の共認圧力という人工呼吸装置によって生き永らえている(実現論4_6_06)」だけだが、「人類において、秩序収束力⇒規範・制度の共認圧力は絶対であり、規範・制度が人々の意識≒価値観を規定する力も、ほぼ絶対である(実現論4_6_05)」ことを考えると、そう侮れないと感じる。
しかしそれだけに、今まさに顕在化しようとする途上にある『認識形成の場』に人々を結集すること、あるいは『場の秩序化』=『体制化すること』が必要との洞察は、古い現実の拠って立つ最後の基盤を解体・再統合するための最終的な課題認識だと思います。
秩序や体制は永久不変でなく、人類の最先端機能である評価共認によっていかようにも組み替えられる。従って問題の焦点は、現存の評価指標(お金)に代わる新しい『評価指標の共認』形成一点に絞り込まれる。
市場やお金を否定したり逃げるのでなく、その真っ只中で次第に新しい現実(新しい評価指標)の下に組み伏していく、やはりこれしか“実現”はないだろうと確信しました。これなら普通の人々が、真っ当な『必要か否か』の『判断の土壌』や、『人収束⇒認識収束』の新しい現実を顕在化させるに応じて、実現していく見通しが立ちます。しかもこの勢いは増すばかりです。
市場の真っ只中で、『認識形成の場』に『人数』を結集すること。ここからすべてが始まる。ここにすべての新しい現実が委ねられる。
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