>認識形成の場』自体が、私権の現実(国家や市場)の真只中に乗り込み、内部から私権世界を解体・再統合しながら、突き抜けてゆくしかない。(35272)
「必要か否か」という判断軸が示される一方、これからは、その判断軸を巡っての闘いになるのだと思う。
私権という軸での判断。私権を越えたところでの判断=ここでの新たに形成された認識に基づく判断。きっと、ことごとく対立する事になるのだろう。
しかしながら、一般の人々は、既に私権第1の判断を越えている。とすれば、大勢は決まっている。それをいかに大きな潮流にしていくかだけが課題。それは、この「るいネット」がどれだけ支持されていくかにかかっている。
「私権」軸上での判断軸が最後まで変わらないのは、恐らく官僚等の統合階級。しかし、潮流ができてしまえば、国家や市場の形が残っているとしても、実体としては、統合階級が一般の人々の手で解体されてゆく。よって、必然的に「突き抜ける」ということになるのだろう。 |
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