35273において、まさに事実に立脚し、現実に即した認識が、具体的な指針となって明確にまとめられ、示されたと思います。
「いいものはいいのだから、いつかは誰かがわかってくれる」という空疎な「待機論」ではなく、しっかりと社会の評価を受けようとするためには、現在の社会での価値評価に身を、いわば晒すのを恐れていてはならないのです。また恐れる必要は何もないのです。現実の社会の状況から発している問題点に真っ向から立ち向かい、事実に即した解決を、そしてそれが行える「場」を追求しているのですから。
社会がどのようなことを求めているかをより広く捉えるための営為としても「有料化」による提示は必要なことです。つまり、期待が大きい対象ほど「金」という形ー自らの生産の成果の拠出ーで、その大きさが測り得るのです。そして、「有料化」はその提示、論議、認識の形成に参加する機会をより明確に示すことにもなるのです。「辻説法」では、「いいこと言ってるな」と思ってもそれに参加し、活動し、その認識を生かしてゆく場・機会は供与できません。
自らも自らの生産の成果をもって、必要な社会統合という偉大な営みに参加できるー待たれていた機会が、今示されたと考えます。
一方「では有料化して誰も参加してこなかったら?」という危惧を持つ者が全くいないとは言い切れません。しかし、統合不全の現代において、解決の提示は希求されていることです。まやかしめいたものでさえ、飛びつく人はいます。まして「本物」−破綻のない、整合性を持ち、真に事実に即した論なのです。「待たれていた」ものなのです。何の危惧を持つ必要があるでしょうか。 |
|