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343050 内なる声はどこからやってくる?『内臓感覚―遠クテ近イ生ノ声』
 
匿名希望 19/02/03 AM10 【印刷用へ
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そもそも、何故「内臓感覚」を展覧会にしようと思ったのか!?

展覧会を観終え、担当キュレーターの吉岡恵美子さんと、出展作家の志賀理江子さんにお話を伺うことができました。そもそも、「内臓感覚」をテーマにした美術展を企画しようと考えたきっかけは何だったのでしょう?

吉岡:解剖学者の三木成夫(1925-87)の著作にふれ、その考え方に刺激を受けたのが大きなきっかけになっています。彼によれば内臓は太古からの生命の記憶・リズムが封入された器官。頭脳とはまた別で、しかし密接につながってもいます。ダイレクトな五感とも異なり、内側に閉ざされているけれど、根源的な感覚を宿す存在でもあるという。そこで、人が持つ感覚の中でも原始的・根源的な「内臓感覚=内なる感覚」という視点から、新たな知覚にもつながる現代の表現を探りたいというのが企画動機です。

出展作家は世代や背景も異なる現代美術家だけにとどまらず、建築家や絵本作家、花人まで多ジャンルにわたる顔ぶれです。そこに通じる「内臓感覚」とは何なのか? 吉岡さんと志賀さんそれぞれのお考えを聞いてみました。

志賀:内臓というのは強い言葉ですが、身体から始まる表現をしている作家はとても多いし、そもそも身体を持たない人は存在しない。そう考えると全ての人にとって身近で、かつ広いテーマでもあり、今までこの種の展覧会がなかったことが不思議でもありますね。また、最初にお話をもらったとき、内臓という言葉に企画された方自身の想い入れを感じました。それはある意味、個人的な体験や衝動のようなものかもしれない、と。でもそこから始まる方が、ウソのない強い展覧会になるとも思いました。


吉岡:先に志賀さんの言葉にお答えすると、数年前に初出産を経験し、妊娠中は食べものや自分の動き、体内の変化に自然と気を配るようになりました。その後に三木さんの著作と出会ったのですが、これらも無関係でないとは思います。今回は本当に色々な作家さんを調査しましたが、選出理由は様々です。志賀さんの場合は、その写真作品はもちろん、関連書籍などでご自身が綴っている考え方に、共鳴するものを感じたから。「世界への違和感の中で身体の痛みや快・不快の感覚が信じられる」という言葉や、簡単に「わかった気」にはならないという意思に引き付けられました。

志賀さんが今回展示した『CANARY』シリーズなどの作品は、事前に訪問先の住民への取材や、独自の「地図」作りを経て撮影に至っているそうです。それは、ご自分の中で撮影対象を「消化」「反芻」するような作業から生まれる写真でもあるのでしょうか?

志賀:撮る前に一見写真とは関係ないような、かなり色々なことを行うのが私の場合は多くて、シャッターを押すのは最後の儀式みたいな面もあります。言い換えれば、それまでやってきたことを反転させる装置としてのカメラというか……。そして、一度写してしまうとイメージの力はとても強いのだけど、そこには目に見えない何かも写っている。その不確かなもの、ノイズみたいなものこそが写真だとも思う。そこは自分でも色々検証しないとわからない、と思いながらやっています。


美術において「身体感覚」「皮膚感覚」といった、「内臓感覚」とは似ているけれど少し違う表現はこれまでも論じられてきたと思います。吉岡さんは今回「内臓感覚」を扱うにあたって、どのような視点を重視したのでしょう?

吉岡:「内なる声に耳を傾ける」とよく言いますが、「そもそも『内』とはどこだろう?」と、あえて突き詰めないことも多いですよね。しかし、私はそこを突き詰めて考える面白さがあると思っています。再度三木さんのお話になりますが、脳を中心として、筋肉や神経からなる身体の核を、彼は「体壁系」と呼びました。体壁系はアクティブで動物的、自ら動いて次々と刺激を受け取っていくので「近感覚」的ですよね。対する「内臓系」は植物的で、潮の満ち引きなど自然のリズムや生命の記憶にも呼応しながら「遠感覚」的に動く。内臓は、受動的で自分の中にありながら得体の知れない存在でもありますが、実は生命の根幹はこちら側にあるとも考えられないでしょうか。

そこで「遠クテ近イ生ノ声」という展覧会サブタイトルにつながるのですね。「内臓感覚」とだけ聞くと『人体の不思議展』的なものを連想する人もいるかもしれませんが、それとは違う創作の面から、生の根源とその連なりを見つめ直すということでしょうか。

吉岡:創作の根源という意味での「内なる声」は作家ごとに異なるとも思いますし、それも含めて、この展覧会に訪れた皆さんを刺激する場になれたとしたら嬉しいですね。さらに言えば、3.11およびその後の原発事故など、社会や自然への漠然とした不安、違和感……それらと向き合う際に関わり得るものとしても、私たち自身の「内臓感覚」に耳を傾けるきっかけになれたらと思います。

「まちに開かれた美術館」として世界的に知られ、開放的な建築デザインも特徴の金沢21世紀美術館。今回そこで「内臓感覚」を扱うというコントラストも興味深いものです。でも考えてみれば、外界にも呼応しながら(かつ、種の記憶=歴史を受け継ぎながら?)根源的な波動を響かせる内臓感覚は、けして閉じた回路ではないのでしょう。ともすればナイーブだと捉えられがちな「内なる創造力」などの言葉との違いも、ここにあるのかもしれません。各作家の力強い表現が、お腹にしっかり響く美術展。そんな体験をしに、初夏の金沢に出かけてみてはどうでしょう。観賞後は、美食の街でもうひとつの「内臓感覚」を磨くのもまたよし、です。
 
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