>従来の私権的なるものの全ては(身分もお金も、あるいは物財も解脱も)、改めて『必要か否か』という土俵上で真っ当な判断の洗礼を受けることになる。(33995番)
必要かどうかという判断軸は、極めてシンプルで自明な問いだと思います。改めて現実の必要性という判断軸からみると、私権統合の仕組みというか、本質が、極めて人工的で不自然なものに見えてくるように感じる。
私権的なものの全ては、私権の強制圧力から派生しており、その圧力がなくなれば必要性が感じられなくなるのは当たり前なのだろう。
身分も、物財も解脱も・・・・私権的なものは、強制圧力から逃れるための自己充足が主目的で、それだけの必要性しかない。
いま必要なもの?それは自分達の生きる場を、創りだそうとするときに必要なものであり、多くの人々が必要と認めるものだ。(それは、現実を切り開いていく、役に立つ認識群である。)
そうやって判断軸を切り替えると、自己充足から、人々の期待を対象化することの必要性へと価値軸も転換する。(いまや、そのほうが潜在意識にもピタッと当てはまる。)
前にも、どなたかの投稿に、“いまやどれだけ多くの人々の期待を対象化するかが、自己の活力を規定する時代になった。”というのがありましたが、いま実感できるようになった。
|
|