『必要か、必要でないか』という認識、判断軸の先に「可能性があるか、無いか」をイメージせずに居られません。
そしてここ「るいネット」では、その可能性に向けての活力を皆さんの投稿に感じています。
ここ「るいネット」では今まさに、「必要か、必要でないか」の認識が織成す土俵作りが為されている。
そして、msg:33821四方氏の「超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく」は、このことの意味を、可能性を鮮明に示唆されている。
私自身、ここまでなんとなく感じていた可能性、や、ここに参加する活力を鮮明に意識することが出来た。
>『必要か、必要でないか』という認識は、決定的な一つの答えとなる。この認識が伝播するのに応じて、真っ当な判断の土俵が確立されてゆく。
伝播しよう。知り合いや友人にもっともっと知ってもらいたくなる。
確実に、活力の段階が上がった。
昨今の、鈴木宗男問題他を新聞端っこに追いやった、Wカップフィーバーも今日の日本の負けで、急激にさめてしまうでしょう。世界中のこのフィーバーもどこか投げやりな気がします。しかし、この現象も、閉塞観漂う日常において、擬似的でも、人々が可能性を追い求めていることを間違いなく示している。
>『認識形成の場』は、この土俵の上に(新しい演場の開拓者として)登場することになる。
この『認識形成の場』の登場は、可能性を追い求める人々に対する回答として、強烈なインパクトを持つことは間違いないと思います。 |
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