現在、人々の意識は外向収束から認識収束へと向かい、現実社会を生きていく為の『新しい認識』を必要とする意識が顕在化しつつある。社会・人々の意識を対象化するならば、自分が必要としているものは、誰もが必要としているものに他ならないのではないだろうか。
それは、現実社会を切り取れる『新しい認識』であり、それを紡ぎ出だす協働やその場でだと思う。ならば、今必要だと思うことを現実にすることは、自分の期待でもあると同時に人々の期待に応えることでもある。
誰もが『必要か、必要でないか』という判断基準に立つ時、同時に真っ当な「期待・応望」関係を生み出すことになる。また、その判断基準は、日常の生活の中で生きていく為の判断基準ならば、私的な充足とは異なり飽和することはない。
認識収束した人々の『必要か、必要でないか』という認識は、「認識形成の場」の登場の土俵となり、同時に「期待・応望」の土台を強化する、全ての基盤なのではないかと思う。 |
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