>もともとの祭りの原点は原始時代の踊り(=歩行訓練)です。これは極めて日常的なものです。かつ闘争課題と解脱が一体化したものです。そして洞窟から出て以降は、日常的な皆が集まる食事の場そのものが、同時に饗の場であり、方針の合意の場であり、かつ最大の解脱共認の場であった、と思われます。
北村さんのご指摘のとおり、始原時代の「まつり」の原点に戻って検証する必要があると改めて思います。
「まつり」は闘争と解脱の場であり、共認充足と参加充足の場です。又、始原人類の会議室の知見によれば、踊りによって言葉(観念機能)も発達し、観念充足も得られたことと思います。さらに、始原の祭りは毎晩、日常的に開催せざるえを得ない程の生存圧力に晒されていました。
北村さんの言われる、原始時代の「日常」と採集時代の「非日常的」「象徴的」「人工的」という「まつり」の機能の違いは、共認充足と参加充足にも差が見られると思います。
>集団統合上の矛盾に直面し、だからこそ改めて人工的に「祭・祀・政」が一体となった”特別の場”を設ける必要があったのでしょう。
特別な場である祭祀空間や儀礼空間では特別な人(祭祀や儀礼を行う人)や特別な物(祭器、装身具、珍しい物品・食物など)が求められると思います。そうすると、これらの特別な場を演出する行為や物品によって共認充足や参加充足が得られることが必要になってきます。さらに、これらの行為や創作物によって観念充足(創作活動の活性化など)も同時に図られていると思います。これは、その時だけ異常に盛り上がる現代の祭りにも通ずるものがあると思います。
しかし、これらの課題は日常の現実的な闘争課題からは一段階圧力が下がった所での創作活動のようにも思えます。「土偶」も「祭祀用の土器」も「装飾品」も、1万年という長い年月を経ていながら、大きく進化していない(ように見える)のも二義的な生産活動であるからかも知れません。例えば、流行のように繰り返し似たようなモノが再現されたりするのも、ここに理由が見出せそうです。
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