まず実践だ!と主張する人は、大抵こういったコトを言います。
(大半の環境運動、反戦運動はこの思想・発想)
「みんなが変われば変わる」
「みんなが実践すれば世界は変わる」
「みんなが変われば変わる」これは正しい。
「みんなが実践すれば世界は変わる」これも正しい。
論理(言葉)の上では…、
(変われば変わる、そりゃそーだ)
言葉の世界って恐ろしくて、(実現する事が)一番難しい「みんなが変われば」の部分が出来るモノ、出来たモノとして話を進められるんですよね。
るいネットでの議論は、そんな無責任なモノではない。
「みんなが変われば」、この条件部分がどうやったら実現するかを一生懸命考えている。
例えば
・良い社会につながり得る社会現象(環境志向・脱権力志向など)を見つけてから(実現基盤を発掘してから)、その上で何が出来るか模索。
・「お金を得ることを巡る倒錯性31460」といった「お金観」を巡る議論は、NPO等が抱える矛盾(拡大阻害要因)を解消できるかもしれない。
「実践するな」と言っているわけじゃありません。
「実践なんて意味がない」とも言いません。
ただ
「まず実践」「実践こそ全ての処方箋」といった発想
「既に答えは見つかった、後は実践するだけだ!」といった発想
少し違う!と思い投稿しました。
答え(解決法)なんて、まだ見つかってないと思うんです。
それを一緒に探しませんか?
参考:
18572 観念捨象の実践模索では足りない=観念を必要とする地平
18719 構造認識の現況3 既成観念の全的否定
19059 思考次元1 潜在思念の実践思考
19060 思考次元2 否定意識の倒錯思考
19577 不全発の『変革の必要』から、実現発の『認識の必要』への大転換
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