もはや学校は終っている
314815 「教師」から「教育者」へ
 
濱田健 ( 会社員 ) 16/05/04 PM05 【印刷用へ
日本における教師像は、学校の中では権威者というイメージが強いのではないでしょうか。(一昔前に比べれば怖い先生が減っていますが、世間一般の見解としては変わっていないと考えられます。)

一方、諸外国においては「教師」というよりも「教育者」というイメージが強いようです。この違いが先生と児童・生徒の関係に大きく関係を及ぼし、教育方法にも違いをもたらしています。

以下、引用です。
リンク
 私たちは、教師というとどのようなイメージを持つでしょうか?「教える人?」「偉い人?」「権威を持った人?」「権力を持った人?」「怖い人?」「優しい人?」様々な印象を持っている人がいるでしょう。その多くは、自分が出会った教師のイメージがあるかもしれません。また、それは、時代によっても変わってきているかもしれません。また、子どもから見たイメージと、親たちから見たイメージと、一般的な社会から見たイメージと違うかもしれません。しかし報道などでの取り上げられ方を見ると、同じ人間であっても「教師が何々をした」ということは、特別に感じるようです。

 以前のブログで書きましたが、日本の教師は外国における位置づけと少し違って、教育基本法の中の目的のひとつである「人格の完成を目指す」ための人であるため、人格者であることが要求されることが多いと思います。ですから、「聖職」などと言われることもあります。それに対して、外国では非常にフレンドリーな立場でいることが多いと聞きます。

 イエナプランの創始者であるペーターセンは、権威的なニュアンスを持つ「教師」という呼び方を嫌っていたようです。教師という言い方が持つ、力や知識をより多く持つ存在、未熟な子どもに対して上から一方的に教える存在、というニュアンスに対して否定的だったのです。ですから、「教師」ではなく、「教育者」「養育者」という言葉を好んで用いました。今でも、オランダにあるイエナプラン校でも、他の学校のように「先生」=教える人(Leraar/Lerares)という一方的な意味合いを持つ言葉を用いず、子どもたちのグループと生活を共にする「グループリーダー」と呼んでいます。

 ペーターセンは、教育者と生徒の関係、また、生徒と生徒との関係は、「人間的なもので、より高貴な基本的な態度に基づくべきである」と言っています。また、教育者と親の関係も、他者・相手の権威から自由な、相手に束縛されない、互いに対等に語り合える関係でなければならない、と言っています。親か教育者のどちらか一方が権威的な態度を持って相手を従わせようとすると、平等な人間としての関係が破壊され、両者の間に距離が生まれる、と言っています。

 この言葉は、学校などでは、教師が権威的な態度を持って親などを従わせようとすることが見られることが多いと反対に、保育園などでは、親の方が権威的な態度で園を従わせようとすることが多いと最近聞くことが多くなりました。しかし、子どものもとでは平等であるべきで、このことは大切です。

 また、この呼び方は、教えることは教育ではないということを表わしていると私は思っています。教育とは、「子どもたちが自立的にまた、他との関係を通じて学ぶこと」であるとペーターセンは思っていたようだからです。そのような意図を持った学校は、「生徒たちこそ、学校での仕事(勉強)の完全な担い手になるということを表わしているのです。そして、教育者は、この仕事に取り組む生徒たちの、方向付けをする者でなければならない。」と言っています。すなわち、学校とは、知識や技能を持った教師が、それらを持たない生徒に教える場、という考え方とは全く異なる教育者と学習者の関係です。ですから、授業方法も、教員が決められた知識と技能を一律に伝達し、できない子どもにそれを繰り返すように言い渡し、耳を傾けない子どもには規律やしつけで管理する、という姿勢では子どもは育たないと考えます。

 イエナプランのように、これは小学校での話ですから、日本において、この問題が就学前の施設での問題になっていると聞いたら、びっくりするでしょうね。
 
List
この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_314815
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、48年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp