>制度的・観念的に、社会はこうした論理に覆われ、それが個人の権利を保障しているわけですが、一方で、人々を閉塞感や喪失感に追い詰めている構造にあり、実は、皆「自分の・・・」という観念をもてあまし、本当はそんなものをもはや望んでいないのではないか、とも思います。
市場原理を基底に形成された社会では、全ての物事は、相反する力が押し合って調停されたところでできる境界線によって規定されるという関係性のなかにおかれていると感じます。
この社会は、自分も何かを所有しているということを声高に主張しないと自分は押しつぶされてしまうという強迫観念を常に人々に与えます。
人権という概念も、何か力を持たない人がこの力に押しつぶされてしまうのを最低限のところで食い止めるための、社会の緩和・救済措置であるように思います。
人権や権利という考え方は外圧に対して対抗するための抵抗力を得るためのものであり、それ自体が新たな関係性を築くものではなく、いくらこの考えを推し進めても、社会が変わることはないのではないでしょうか。
また、このような社会のあり方をそのまま空間化したような住宅や都市空間にいることも、私たちの考え方を固定化させる一要因になっていると思います。
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