311082 【近代観念による事実の封印と思考の停止】より
>近代観念たる自由・平等・博愛も、個人主義・民主主義も、権利という観念も同じく自我に立脚して作られた観念なので、唯一絶対性を帯びて頭の中に巣食っている。従って、それらの観念に染まれば染まるほど、自分の利害発でしか物を考えられない「自分脳」が形成されてゆく。
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日本において戦前までは、村落共同体が、また、教育においても良し悪しは別にして、国に対する忠誠(富国強兵)や目上の人に対する尊敬(家父長制度)、社会に出て役立つ人材になるよう教育されていた。
戦後事態は一変。占領軍は、マスコミを通じて近代観念(個人主義、民主主義、自由平等博愛、人権等)が塗りこめられたアメリカ社会、アメリカの個的生活を徹底的に、日本国民が目標とすべき理想であると洗脳し始めた。
共同体規範や貧困の圧力が残存している1970年頃までは、「自分脳」を制御する共認圧力が作用していたが、「貧困の消滅=豊かさ実現」を境に、その共認圧力が低下するに従い、現在に至るまで「自分脳」の汚染程度はひどくなる一方である。
「自分脳」の最も恐ろしいところは、決して「社会(外圧)に目を向けない」ことにある。
金貸しにとっては、社会に目を向けない思考停止した人々がいくら私権を要求したところで、痛くもかゆくも無い=【奴隷の遠吠え】だけでなく、金貸しにとって都合の良い社会を守ってくれる有り難い存在=【先棒担ぎ】に。
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