西欧科学は狂っている
292707 数学から見る二大文明の『世界の捉え方』・・・代数学のイスラム。解析学の西欧。
 
匿名希望 Z 14/07/24 AM00 【印刷用へ
市場経済の渦という未知なる状態に巻き込まれたイスラムは、自らの共同体に降り掛かる問題・課題に対応するために有能な人材を登用するだけでなく、手法を磨いたと思われる。
その一つが代数学の発展。

一方の西欧。自らが作り出した混沌、『武力統合国家と市場社会の不整合』を分析し、支配者が都合の良いように作り替えて行く必要があり、同じように手法を磨いたと思われる。
その一つが解析学(微分・積分)の発展。

前者が驚異的な先端突破力により瞬く間に当時の覇権を握った傍らで、後者は後塵を拝しながらもしぶとく模倣と翻訳と分析を続け、立場を逆転し、ついには市場社会の覇者となる。
前者が『開発した商品』を後者が『大量生産』することで、現在の市場社会が成り立ってきたとも言えるだろう。

そして、その市場社会の破綻が世界の閉塞を生み出している現在、代数学が持つ未知なる課題に対する突破能力と、解析学が持つ普遍化能力の融合は、世界を掴んで問題を解決するという面で両文明の限界を跳躍し、新たな可能性を切り開く可能性を持っている。

『二項対立している時間』は、そろそろ終わりにしなければならない。



《以下引用》リンク

西欧キリスト教圏の二流の歴史家たちは、イスラム帝国の勃興を非理性的な宗教的狂信の所産として切り捨てることが多い。だが実際にその歴史の細部に当たってみると、どうも真相はずいぶんと違ったものだったようである。
 
実際、イスラムについて学ぼうとするときには誰でも常に、西欧キリスト教側が二重三重にかぶせたフィルターをいかにして除去するかに多大な努力を割かれるものであり、かつてのソ連国内にいて「プラウダ」紙の記事から西側世界の本当の姿を割り出す努力とはさしずめこんなものだったろうかと、しばしば苦笑させられた。
 
大体「ルネッサンスの三大発明」などという言葉を世界中教科書に載せてしまうというのだから、キリスト教側の宣伝能力には恐れ入る。それら三つとも、すなわち火薬にせよ羅針盤にせよ印刷にせよ、中国に起源をもつものがイスラム圏に伝えられ、西欧はそれを最後に学んだに過ぎない。ルネッサンスに功績があるとすれば、それを量産したということだけである。
 
ルネッサンスとは要するに「大翻訳時代」であり、西欧はようやく17世紀に入って先生であるイスラムを追い抜いたのである。(それは英語の代数=algebraがアラビア語であることを見てもわかる)
 
このフィルターを除去することは、単に世界史を正しく見るという意義にとどまらない。それは一般的問題としても盲点となっているさまざまなことを教えてくれる。特に近代西欧文明の閉塞状況に悩む現代においては、それは未来への不思議な光を投げかけているのである(実は私の資本主義観はイスラムの観察なくしては成立し得なかった)。

            (中略)

◆数学史からみたイスラムと西欧

なお付記しておくと、イスラム文明と西欧文明を「数学」という観点から見ると、ある意味で両者の本質が浮き彫りになる。これは大変重要なことなので、関係者のためにもここで述べておくことにしよう。(なおこの事実は現在、本稿以外の世界中のいかなる文献にも記されていないことであり、読者はその重要性に是非注目されたい。)
 
さておよそこれまでの人類の数学というものは、二つの大きな体系の上に両足を広げるようにして立ってきたと言える。それは要するに解析学(微積分)の体系と代数学の体系である。
 
そして数学史においては、西欧が微積分を、イスラムが代数学(algebra)を引き受ける形でそれぞれを発展させてきたということは、注目すべきだろう。
 
それというのも作用マトリックス理論をご存じの読者は、次のことを理解しておられることと思う。それは、解析学と代数学の体系は、それぞれ作用マトリックスの特殊な場合として現われる二つの顔だということである。
 
すなわち一般に作用マトリックスで扱う系とは本来、
・系の中に多数の要素がからみあい、
・それら全体が時間的に変化する
いう、二つの性格をもっている。しかしここで前者の性格を消して、要素の個数を2個だけに減らした場合、それを表現する作用マトリックス(2行2列)は事実上、関数と同じものになって、体系全体が解析学と同じものに帰着できる。
 
一方それとは逆に、今度は後者の性格を消して、体系を静的なものとした(つまり行列のN乗自体を考えない)場合、作用マトリックスは単なる線形代数の行列になってしまい、体系全体は代数学と同じものに帰着される。
 
つまりこのように、それぞれ体系の性格の半分を消去する二種類の特殊化を行なうと、一方は解析学に、もう一方は代数学になるというわけだが、数学史の中ではこの両者を二つの文明がそれぞれ分担していたという事実は興味深い。
 
そして西欧が解析学(関数)的発想を、イスラムが代数学(連立方程式)的発想を、それぞれと文明の基礎に置いていたとすれば、実は両者は、一つの大きな体系の中に現われる、部分的な二つの顔を見ていたわけであり、彼らは文字通り文明全体の中でそれを等分に分け合ってきたのである。
 
つまりこの観点からするならば、本来どちらが文明として上かという議論は成り立たないわけであり、両者の断絶をつなぐ数学的ツールとして、作用マトリックスの役割は大いに期待されるところである。実際それは、この二大文明をつなぐ最大の鍵となる可能性がかなり高いと予想されるのであり、これがなければもう未来において両者を融和共存させることは不可能ではあるまいかと考えられる。
 
その意義に比べれば、数学者が今の学会でもてはやされているどんな問題を解いたところで(どうせ現在では結果の点でせいぜい携帯電話の性能向上ぐらいにしかつながらないのだから)、歴史は時の経過と共に、吹けば飛ぶようなちっぽけな文明史的意義しかもたないものとして、それを端役の地位に追いやっていくことだろう。
 
そのため、イスラム文明への認識は数学関係者にとっても非常に重要なことなのである。

《引用以上》
 
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