小野不一さんこんばんは。
>スピードが鈍ればネット上では死を意味します。
遅いレスでもう死んでるかも(^^ゞ・・
本屋さんにとっては、「書物を捨ててネットに向かおう」(これも引用なのですが) という投稿はかなり挑発的なモノになってしまったようで困ったものです。でも私は、書物を否定するものではありません。(かといって、本に頬ずりするほどの本フェチではありませんが(^^ゞ・・)
小野さんは、当然知ってる事でしょうが、本歌となった『書を捨てよ、町に出よう』の作者 寺山修二は、歌人でもあり、稀代の言葉マニアでした。彼の言葉は、詩集や歌集という書物となって多くの人に読まれたのでしょうが、寺山修二は、最後まで、肉声で語られる言葉にこだわりました。天井桟敷という演場で、家出少年・少女たちが語る言葉を通して(津軽のイタコの発するような)言霊を再生しようとしたのだと思っています。しかし、ドキッとするような、いくつかの言葉を残してこの言霊どもは、繁栄の中に消え去ってしまったように思います。
時はちょうど1970年前後-実現論の言う”貧困の消滅”による私権パラダイムの衰退が始まった時期でした。(実現論3_3_01 実現論 第3部 滅亡 ハ.貧困の消滅→私権の衰弱→性の衰弱)
>そうした共時性(シンクロニシティ)は確かにありますね。・・・
るいネットでの活発な議論の根底には、現代という肥大社会における滅亡という、まったく新しい事態に対して、人類は、どうやって立ち向かう事が出来るか、という問題があると思います。心の底では(潜在思念で)何か危機を感じ取っている。しかし、なぜこうなっているのか(構造認識)は、うまく説明できない・・従って、どうすればいいのか”答え”が無い。答えを皆が求めながら、難しすぎて・・やがて誰も考える事をやめてしまう。
人間的な、潜在思念の表現は、仲間の中で飛び交う,素の言葉なのでしょうが、そのなかに、皆の腑に落ちる言葉、答えの可能性を感じさせる言葉が,言霊のように響く事があります。まるで脳内のシナプスが発火して新しい脳回路が開かれるように感じます。
(”ネットワークは新たな観念機能” 辻一洋さん25204)
人間の頭と言うものは、多くの他者(仲間だ)と分かち合う共時性(シンクロニシティ)の中で無ければ、ものを考える事は出来ないのではないでしょうか。ましてや、社会の問題=自分も含むみんなの問題 そのものの事です。
”ネットのライブ感覚”(28912 )という端的な言葉で雪竹さんが述べているように、このような、潜在思念が響きあうネット上の演場に、新しい答えが生み出される、可能性を感じます。 |
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