次代の活力源は?
280946 老いとの共存か「姥捨て文化」か
 
大脇正嗣 ( 28 愛知 会社員 ) 13/09/15 AM02 【印刷用へ
続いて、福祉を考える上で「老いと共存するか」「老いを排除するか」について描かれている内容を紹介します。周りの家族や福祉施設等もちろんですが、高齢者自身がどれだけ活力を持って老後を過ごすことが出来るのか、老いを肯定視する意識の転換についても触れています。
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■老いとの共存か「姥捨て文化」か

コラム(明るい老後は、社会全体がそれを支える体制が必要。高齢者側も意識革命をしたほうがいい。)

スウェーデンのような「近居・交流型」の家族関係を実現するものとして、街中にある老人ホームの存在があります。日本の老人ホームや老人病院は、街外れ、山奥にあることが多い。日本的な「老い文化」で言うと、古くから「隠居」という考え方があって、老いた人は社会から隠れてもらおうという発想があるのです。欧米では、比較的街中が多いと思います。老人ホームの場所を比べれば、その国の敬老の心、「老い」に対する気持ちが計れる。「老いを排除する社会」と「老いと共存する社会」の違いです。これから高齢社会を迎えるにあたって、「老い」を排除する思想は自己矛盾を抱えます。車椅子や痴呆症のお年寄りを自分たちの前から隠していく社会を続けていけば、いずれは自分も隠されることになります。

また、日本人は将来を担う子供にはいくらでもお金をかけますが、老人福祉にはあまりお金を使いません。モノを生産することができる人が大事にされるのが日本の社会で、介護を必要とする老人というのはお金がかかるばかりでモノを生産する能力は低い、だから切り捨ててします。私はそれを「切り捨て教」と呼んでいますが、「集団や組織の利益を守るためには弱者を切り捨てる」という発想が介護の問題の根底にあります。

「老い」を社会から排除する「姥捨て文化」というのは、実は日本でなくてもどの国にもあるものです。福祉国家のモデルとされるスェーデンにも、貧しかった19世紀まで、「姥捨ての丘」という場所があり、弱って働けなくなったお年寄りを崖から突き落としたというのです。一人でやっては罪悪感が残るので親戚一同全員で一本の長い棒を持って、その棒で突き落としたと。その「姥捨て棒」というのが、博物館に展示されています。貧しい国では、それが現実なのです。

ただ、200年も300年も前の貧しい国の話ではなく、これだけ豊かになり、医療が進歩した日本で、まだ「姥捨て」や「切り捨て教」で『老い』に対応していていいのでしょうか。ここに、「老い」というものを日本人はどう受け止めるのかという、重大な課題が問われているのです。

■恨み骨髄で死なないために

コラム(日本人的な滅私奉公は裏目に出ます。)

ここで重要なのは「『老い』をプラスとるかマイナスととるか」です。欧米のお年寄りと話していると、「老い」に対する期待度が日本人より高い。どちらかといえば待ちどおしいものとすら言えます。

私がスウェーデンに留学していたころ、大学でいっしょのクラスにヨハンナさんという79歳の女性がいました。彼女は「老後は人生のおまけではない。人生の本番だ」と言いました。若いときは、仕事、子育てなど、しなければならないことがたくさんあった。でもいまは、一人暮らしで自分は自由だと。好きな勉強をして、「老いと師」について論文を書き上げ、その晩一人でワインを飲んだ。人生最高の瞬間だったというのです。

日本人にとって人生における幸福とは、長い間「働くこと」でした。だから、年を取って働けなくなると「人のために働けないなら、社会から切り捨てられても仕方が無い」と悲観してしまいます。この滅私奉公の思想は、老後、裏目に出ます。「自分が楽しむのが人生だ」という価値観に転換しないと、老後はつらいのです。

自分の人生を楽しむ明るい老後は、家族だけではなく社会全体がそれを支える体制を作ってはじめて実現します。イギリス、スウェーデン、デンマークでは、「高齢者福祉」(welfare for elderly)と言わずに、「高齢者向けサービス」(social service for elderly)と呼んでいます。その理由は、英語の「福祉」(welfare)と言う言葉に、救貧的な「お恵み」「お情け」という暗いイメージがあるからです。日本で介護サービスというと、おばあさんが「すみません、すみません」と謝りながらサービスを受けているイメージがありますが、欧米のお年よりは「若いときに社会に貢献したのだから、介護サービスを受けるのは当然の権利だ」と、明るく言います。

これからは、高齢者の側も、早く意識改革をしたほうが勝ちです。「あんなに家族のため、子供のためを思って働いてきたのに、年を取ったら老人ホームに入れられた」と恨み骨髄で死ぬより、「長い介護生活で家族共倒れしたら元も子もない。私は高齢者福祉サービスを有効利用して自立した老後を送ろう」というくらい、「老い」に対する心の準備をしておきたいものです。

高齢化社会の「老後」は長い。10年くらいなら「人生のおまけ」と思って乗り切れますが、それが20年、30年も続きます。いま突きつけられているのは、古い道徳や価値観では乗り切れなくなった新しい時代の「老い」に対して、私たち日本人が、人生を豊かに終えるためにどのような文化を創造することができるのか、意識改革ができるのかという大きな課題なのです。
(引用終わり)
 
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