「学生に与う6」を読んで、「行動する・判断する」大切さを考えさせられた。
>借金を積み上げるしか能がなく、その果てに国民から毟り取ることしか考えずに暴走し続ける悪徳エリートたちに、もはや社会の統合を任せておけないことは明らかであり、社会の統合も国民が自分たちの手で担ってゆくしかないと、腹を固める必要がある。
という部分がある。
多くの人が3.11以降、政府・マスコミなどいわゆる悪徳エリートたちへの不信感が高まっている。
しかし、それを実際に行動に移している人はどれくらいいるだろうか。
自ら情報を掴みに行き、発信している人は少数であろう。
そういう点で、日本人は疎く、悪い意味で従順である。
政府・マスコミに不信感・違和感を感じつつも、無関心に徹する癖がついている。
私権から共認への大転換以降、未だに私権社会にしがみついている悪徳エリートたちに引きずられている原因の1つといえるだろう。
また、いざ行動に移そうとした場合の情報ソースの欠しさも国民が情報を掴みに行きづらい環境を作っているだろう。
何かを知りたい!と感じたとき、自然とネットで検索する時代である。
だが、ネットの情報が正しいかというとそうではない。
正しいかどうか自分で判断しなければならない情報ばかりであり、追及が必要である。論理が整合している情報に行き着くには時間も労力もかかる。
自ら情報を掴みに行き、多くの情報からどれが正しいかを判断し選択していく。
下段に
>人類を破滅に導く側に回るのか、皆と共に新しい共同体社会を作って行く側に立つのか、一生の選択を迫られている。
というい1文が学生に向けて送られている。
しかし、これは全ての人にいえるのではないだろうか。
このまま何もせず無関心で居続けるのか、自ら行動し判断していくのか。
と置き換えられるのではないだろうか。
自ら情報を掴みに行き、発信している人は、常に「行動する」ことを「判断」し、あらゆる情報の中でなにが正しいかを「判断」している。
この日々の「判断」こそが、はじめの一歩だろう。
不信感・違和感を感じている今こそ自ら行動する時機であり、行動することを判断するべき時機なのではないだろうか。
今、再び問うが、
このまま何もせず、悪徳エリートたちの暴走に無関心で居続けるのか、
それとも、自ら情報を掴みに行き、発信していくか。
あなたは、どちらを選択するのか。 |
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