これまでの議論で、縄文中期以降の体感共認の規模限界を超えた集落拡大は、単位集団を超えた同類圧力の上昇に伴う、闘争・統合の規範共認強化+族外婚などによる人材交流によって統合されており、他段階編成の部族連合までは緩やかに共認統合されていたと仮定できると思いますが、
「弥生のクニは共認統合なのか強制統合なのか?」スッキリしません。
渡来系の部族が多かった地域では、水田や倉などの管理=生産財の占有によって、先住の縄文人も巻き込んだ私権による支配の可能性もあると思われますが、本土全体で見ると、採集併用の生産様式や、母系での氏族継承が残存していることなどから、共認統合⇒強制統合への過渡期にあたるという見方でいいのでしょうか?
しかし、農耕が予想以上に進展し、女の蓄財欲求がクニの主要課題になっていたとしたら、私有意識そのものはかなり高まっていたと見ることもできますので、殺し合いの有無だけでなく、もう少し多面的な角度から検証しておいたほうがいいと思います。
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