「種」といえば、ダーウィンの「種の起源」まで遡ってしまいそうですが…。「進化論」として「種」をどう捉えるかということでしょうか。
村上さんが、(27334)で触れられているのは、基本的にはネオダーウィニズムから発展した集団遺伝学的な考え方だと思います。村上さんが危惧(?)されている「人間側の定義」による「概念」というのは、私は至極当たり前のことだと思いますが、確かにこの定義というのは微妙です。
生物学辞典で紹介されている「種」の定義をみると、昔からの「形態的種概念」よりも村上さんの言われている「生殖」を軸にしたものが第一にでてきます。つまり、「形態認識」に関しての「人間側の定義」が「主観的に」陥らないための「概念」として、「遺伝子集団」として種を捉えなおしているようです。
「マイアによる生物学的種概念では、相互に交配しあい、かつ他のそうした集合体から生殖的に隔離されている自然集団の集合体として定義される。マイアの種概念によれば、同署的に分布する(同所性)集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それらは同種とみなされ、もし両者間で遺伝子の交流が起こらず、生殖的に隔離されているならば異種に属すると判断される。」
この定義でも…、
「じゃ無性生殖の場合はどうなのか」「微小地理レベルの分化が激しい生物に対してはどうなのか」という疑問が提示され、
生殖隔離だけでなくもっと生態的地位(つまり生物間の関係・階層)・進化的な役割などの基準で「進化的種概念」を取り入れようとか、
系統を基準に「系統的種概念」を取り入れようとか、
そもそも状況に応じて「種概念」を使い分ければよいのだというような主張まであるようです。
などと…、
「人間の定義(実は、専門家の定義)」を取り上げていくだけで、普通の人たちにとって、「わけわからん」不毛な議論というのが私の正直なところですが、それはおそらく「定義(前提)」が現象事実(現象認識)から抽出された結果であるべきところが、ややもすると「定義」を絶対として先に前提条件におき、そこから現象事実を論理的に捉えようとするからではないかと思います。だから、膠着する。新しい切り口が生まれない。
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