>これらの答え=構造認識は、潜在思念の実現観念態であると同時に、潜在思念が現実を対象化する(=更なる可能性を模索する)概念装置でもある。<
先日、ある企業の友人から、社内販売員の研修の見直し案(新しい案)の相談があった。その案は「販売員と客の信認関係をベースとし、客のために何ができるか」を考えはじめたものだった。彼は潜在思念でこの方向が正しいと捉えている。社会を含めた全体像を構造化してはいないが、販売員の活力と客との充足関係を潜在思念で捉え可能性を見ている。
るいネットで語られているパラダイム転換論を元に一緒に考える中で、彼は、自らの潜在思念の可能性を、現実の実現の可能性として明確にしていった。「間違っていないと自信がついた、感じてたことを言葉として表現できる」とよろこんでくれ、今週彼の研修会はスタートした。
多くの人たちは、潜在思念で何となく新しい方向をつかみ始めていると思う。潜在思念でつかみ始めた方向が、元気も出て前進していけると気づいている。
ここに、構造認識を提示し、全体像を明確にすることで、潜在思念での感覚的可能性が実現への可能性へと一気に登り始める。言葉となって潜在思念が動き始まる。そして、その先にあるさらなる可能性を模索する基盤ができあがる。
まさに、「構造認識は、潜在思念が現実を対象化する概念装置」と実感した。 |
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