古代、単一集団内の族内婚=兄弟婚から、集団間との族外婚=交叉婚へと移り変わったとき、族内婚のタブー=兄弟相姦のタブーが形成されている例は多く見られる。(exオーストラリアのカミラロイ族や、インディアン等)
そのような地域では神話、民話などからも兄弟相姦の結末が悲惨なものとして描かれているが、東南アジアから日本においては、兄弟相姦を肯定的に捉えた民話が多い。このことは、日本の族外婚(クナド婚)は、族内婚タブーの交叉婚とは違い、兄弟婚の充足、統合様式をそのまま集団間へと拡大させたものであることを現しているように思える。
〜以下、『塞の神における兄妹相姦についての記号論的考察』より引用〜
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(1)我が国における例(妹背島)
宇治拾遺物語の第56話「妹背島の事」、および今昔物語の第二十六巻第十話「土佐国妹兄、知らぬ島にゆき住めること」に、いずれも同じ内容で、土佐の妹背島の始祖物語として兄妹婚の話を記している。
すなわち、男の子と女の子の二人の子供を持っていたある夫婦が、自分の在所から遠く離れた浦に持っている田圃の田植をするために、小舟に稲苗、食料、農具、鍋釜などを乗せ、あわせて、子供たちも家に残すことが出来ないので一緒に乗せて出かけた。そして、田圃のある村の海岸に舟を着け、子供たちを舟荷の番として船の中に残したまま、田植を手助けしてくれる人たちを集めに行っている間に、潮は満潮になり突風も吹き出して舟は沖へ押し流され吹き流されてしまう。やがて舟は南の沖の無人島に漂着する。帰るすべもない兄妹はそこで健気にも田を作り小屋を作って自活を始める。そして、兄妹は夫婦となり沢山の子供を作り、子孫が増えてゆくことになると云う物語である。
(2)西南諸島における例
兄妹婚、なかんずく兄妹始祖伝説は奄美・沖縄・宮古・八重山にわたる島々のうちの幾つかで伝えられ、それらは山下欣一氏の「南西諸島の兄妹始祖説話をめぐる問題」、伊藤清司氏の「沖縄の兄妹婚説話について」などにまとめられている。
大島健彦氏は「道祖神と地蔵」の中に「始祖に関する近親相姦の伝承一覧」を取りまとめ、南西諸島において45の事例を掲げている。その内訳は、兄妹が34例、単に男女または夫婦とするもの9例、叔母甥1例、母子1例である。仮に、単に男女または夫婦とするものも元々は兄妹ではなかろうかと考えて合計してみると兄妹関係が43例にも達することになる。例を示すと、
【奄美大島本島】
大島を沈める大津波が来たとき、アデツ兄妹だけが山に避難して助かり夫婦になる。
【奄美徳之島】
ウトウンジャマエー(兄妹穴)という鍾乳洞に仲の良い兄妹が住んでいた。二人は交わって多くの子供を生み、島の始祖となった。
【八重山諸島鳩間島】
鳩間島を大津波が襲い、兄妹だけが島の高い所へ逃げて助かる。やがて津波が引き二人は里へ降りていったが、急坂で先を行く妹が石につまずいて倒れ、後を行く兄も倒れた妹につまずいて妹の上に倒れて結ばれた。妹は兄の子を生み、更に子孫が栄えた。
(3)沖縄における例
これらの民俗伝承とは別に、「琉球神道記」「おもろさうし」「中山世鑑」などが語る沖縄の創世神話によると、天からアマミキュという女神とシネリキュという男神が下ってきて(あるいは、日神に島造りを命じられて)、波に漂っていた小さな島に土や草木を運んで国土を造ったと云う。二人は性の交わりは行わなかったが、それぞれの家を並べて建てたので、アマミキュは往来する風によって妊娠し、三人の子が生まれたとする。
この物語は兄妹という言葉を避け、交合という言葉も慎重に避けてはいるが、上に述べたような諸島の兄妹始祖伝説が洗練され変容したものであることは疑いもない。 |
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