「『方針なき飛び込み営業』は悪である、という風潮が部内にはびこっている」
聞き捨てならないセリフを聞いた。
昔いた職場(不動産仲介)のメンバーから相談を受けていたときのこと。あるビルにお客さんをつけたいという彼に対して、「そもそも、こういう立地に店や事務所を出そうとするお客さんって、何考えてるの?なんでここに出すんやろ?」と質問した。
ありきたりの答えが返ってきた。
「そんなん、高校生でもわかるわ〜。そのへんの情報誌やネットに書いてるやん。というより地図みたら誰でもわかる。そういうことじゃなくて、もっと具体的にどういうメリットがあるのか、一度出店したら、ずっとそこにい続けるのか、安けりゃいいの発想で、節操なくエリア内を点々としているのか、その場合も、電話主体の商売だから、電話番号だけは変わらないエリアがいい、とかいうのがあるのかないのか。等々等。そこにいるお客さんの深い実感、欠乏を掴まないことには、どうする ≒答えは出されへん。まずはそこを掴みにいくこと!!」。
そういうやりとりの後、彼から出てきたのが冒頭のセリフだった。
「えっ?住宅や小規模な事務所はひとの生活に密着していること、だから、そのひとたちがどういう思いで、どんな欠乏を持っているのか、ネットにも情報誌にもどこにも載っていない生の声を聞きにいくのが営業なんちゃうん?『方針』なんて、そんな大げさに考えずに、だいたいこのあたりかな、という当たりをつけて、まずは人間社会に飛び込む、そこから得た声をみんなで持ち寄ってすり合わせる、そうやって『方針』なるものが明確になってくる、その繰り返し。社会はどんどん変化している、ひとの実感もグルグル変わる、だから、大層な『方針』なるものを立てるためにあれこれ調べる時間があるんだったら、まずは動いたら?飛び込むっていうのは、可能性に飛び込むってことやで」。
そのような話をした。長らくいっしょにやっていた彼は「そうなんですよね〜」とすぐ得心してくれた。
話を聞いていて思ったのが、この子たちは成功体験が足りないな、ということ。いまさらながら、体験しないと成功体験は積めない、という当たり前のことに気がついた。そして、その体験=可能性探索にブレーキをかけているのは、自分たちで捏造した、一見もっともらしい観念「方針なき飛び込みは悪」。それにがんじがらめにされている。げに観念は恐ろしい。とりわけ正当化観念は知らず知らずのうちに集団全体を誤らせる。
まさに、「観念内容を誤れば、人類は滅亡する。」(260955)
行きたくないなら、行きたくないって言え!その方がまだしもすがすがしい!!
今、彼は、仲間とともに現地に飛び込み、そこで生きるひとたちの話を丹念に拾いながら、「イケル!」という確かな手ごたえを掴かみつつある。
成約まであと少し。ガンバレ!! |
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