家庭とは家の庭と書きます。
まず、家という字−古い書物によりますと、この家という字は、豚の上に屋根のかぶさった字、すなわち豚小屋という意味の字であると書いてあります。
みなさん。
神聖なるべき「家」が、「豚小屋」を意味するなんて、少しおかしいですね。で、これについて多くの学者が、種々の説を立てています。
ある学者は「家とは私有財産のことだ」といっている。昔、シナ人の主な財産は豚であった。彼らはそれを初めは共有していたが、権力者の出現とともに、私有が始まり、したがって、めいめいが屋根囲いの厳重な小屋を建てて、それらの豚どもを入れて置くようになった。それが家の起こりだ。だから、家とは、豚とかその他すべての私有財産を入れて置く建物のことだというのです。
家財という言葉がある。この言葉は、普通の意味では、家具に等しい。しかし、少し立ち入って研究して見ると、「自分の所有物の意。すなわち妻子財産等をいう」とある。
みなさん。
よくここで注意して下さい。家財とは「自分」の所有物の意とある。家(カ)ということが、ここでは自分という意味をもっている。例えば家言(カゲン)ということが一個人の言説という意味であるなども、その一例である。かくのごとく、家(カ)は自分であるから、家財はすなわち自分の所有物という意味になります。
さてまた、その「自分の所有物」なるものは、「妻子財産等という」とあるから、その場合の自分なる人間はいうまでもなく妻子財産を有する「男」である。「男」のみが、「家(カ)」として立つことができるし、「婦人や子供」は「家財」でしかない。
家というものは私有財産を入れておく建物であり、また、他面、その所有者の存在を意味するものであることがわかりました。早くいえば、一人前の男は家という私有財産をもってなければならない。それをもっていることによってのみ一人前であるかないかが決定される。
朝鮮などでは独身の男はチョンガーといって軽蔑される。インドでも家を持たない男は男と認めないという風があると聞きますが、もちろん、この風は、日本にもある。
それは単なる「独身」を軽蔑するのではなく、「私有財産」のないこと軽蔑するのである。
妻子を私有財産として所有しているということは、男にとっての非常な誇りである。だから、男は、ともすれば、妻子を私有財産に取り扱いたがる。わが国などにもこんな男がたくさんいる。 |
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