〔それはオタクから始まった〕
セックスレスの問題は、今やどこにでもある日常的な現象として一般化してしまった。さらにネットに投稿されている内容からみると、単に同じ相手に飽きた(興味がなくなった)というだけでなく、出会った頃から淡白でもともとからセックスレスという低温カップルや、むしろ性的関係でないことこそに価値を見出す者も珍しくない。
セックスレスという生々しい活字が紙面を踊るようになり始めたのは、多分15年から20年前くらいではなかっただろうか。当時問題になっていたのは、現実の女に背を向けた、オタクのビデオ世界への埋没とマザコン男のセックスレスの問題であったようにおもう。
改めて振り返れば、当時はsex不能の男を単に女たちが、「オタク」や「マザコン」という異常人のレッテルを貼って、問題を捨象していただけかもしれない。しかし仮に、そうでないにしても彼らは明らかに時代を先取りしていた。
では、「オタク」といわれた彼らは、なぜ女に背を向けていたのか。
彼らに性欲がなかったわけでは、決してない。
彼らが対象にしたのは、幼児や成人の女を感じさせない女、特にアニメやビデオの女である。
〔男はイメージとsexしていた〕
彼らに限らず(現代の?)男の性欲は常にイメージで左右される。それは高貴で清純なる存在としてイメージ化された幻想に対して、その幻想を自らの手で剥ぎ取るという、ある意味で身勝手で、自慰的な行為として存在する。そのイメージはおそらく支配欲の充足をより深く満たすためのものであり、そのための道具立てである。
しかも今から考えれば信じがたいことに、女たちはそんな男たちの幻想期待に喜んで付き合ってくれていたらしい。
つまりオタクは男の象徴であり、イメージや観念にもっとも忠実な男である。
おそらく、彼らが求めていたのは究極の理想の女像だったのではないだろうか。この場合の理想とは、男にとって自分の言うとおりになる、従順な女ということになろう。
その点については、ものの見事に男たちの、古い価値意識の中身そのものである。ただし“一見”古い価値意識と異なる点は、その理想の中では、生の性的な部分が捨象されていることである。だがよく考えてみれば、これもかつて男たちが聖なる存在としての幻想を膨らませた、純粋観念上の必然的帰結であるように思う。
ところが、当時(バブルの最盛期に特に顕著だったが)の女は、大人しい男にとっては手におえない存在となった。つまり、現実の中では女幻想を抱きようがなくなってきた。正確に言えば女は強くなることで、身勝手な男の幻想に付き合ってくれなくなった。
その結果、古きよき幻想に忠実だったばかりに現実の対象を見失った男たちは、生身の女を捨象して、自分の頭の中だけで女に対する完全支配欲を充足させていたのである。 |
|