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江戸時代の思想11 大衆支配のための既成観念を全的に否定し、新概念を創出しようとした安藤昌益 |
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ブログ 日本を守るのに右も左もない |
12/04/24 PM03 【】 |
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前回は「市場拡大に歯止めをかける制度を構想した荻生徂徠の思想」を紹介しましたが、18世紀の江戸時代中頃、農民の側に立って私権制度や既成観念を全的に否定する思想が登場します。安藤昌益の思想です。
彼は、儒教の「聖人君子」とは盗人(=略奪闘争の覇者)に他ならず、既成思想は全て(儒教も仏教も)盗人による支配の正当化のイデオロギーであると徹底的に批判しました。
まず、その思想の概要を『概説日本思想史』(編集委員代表佐藤弘夫 ミネルヴァ書房)「第15章町人の思想・農民の思想」から引用します。
>農民は「直耕の転子」 安藤昌益(1703〜62)は、稲作農耕とそれに従事する農民と彼らが住む農村を自らの思想的営為の基軸に据えた。彼自身は医者であったが、その思想には農民の心情と意識が反映している。
>彼は「不耕貪食」の支配者が「直耕の転子」(農耕に勤しむ天子)である農民を支配する階級社会の政治的・イデオロギー的抑圧を批判する。
>彼は誰もが稲作農耕に従事する無差別平等の社会を「自然の世」、階級社会を「法の世」と捉え、「自然の世」の回復を構想するとともに、文字および儒・仏・神をはじめ既成の学問・思想全てが(医術も例外ではない)階級支配を隠蔽するイデオロギーにすぎないことを指弾する。
それは通用の天(てん)地(ち)の文字に換え、同音でその自然的意味を表す「転(てん)」「定(ち)」の文字を用いるまで徹底している。
>転・定・人は類似の構造を持っており、根源的食糧である米を生産する稲作農耕こそ人々が従事すべき生とされ、それゆえに農民は「直耕の転子」と捉えられたのである。それは農民の間に存在する、社会を根底から支えていることの表現であった。 続きはこちら |
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