白人の土地に対する意識の象徴的な事例が本にありました。
1854年、アメリカ・インディアンの酋長シャトルがいったといわれる次の言葉です。
「白人がわれわれの生き方を理解できないのは周知のことである。白人にとって、一つの土地は、他の土地と同じなような意味を持つ存在でしかない。白人は夜忍び込んできて、土地から、自分の必要とするものを何でもとってしまう余所者にすぎないからである。白人にとっては大地は兄弟ではなく、敵である。一つの土地を征服しては、また次の土地に向かっていく。
・・・・・白人は、自らの母親でも、大地でも、自らの兄弟でも、また空でも、羊や宝石と同じように、売ったり、買ったり、台なしにしてしまったりできる「もの」としか考えていない。白人は、貪欲に、大地を食いつくし、あとは荒涼たる砂漠だけしか残らない」(引用:社会的共通資本 宇沢弘文)
当然この背後には「自然界は人間の利益になるように使用すればよい」という価値観がある。
だからそのような狂った視点から見ると、(市場において)歪んだ計算方式が生まれる。
例えば、国民総生産から人工資産の原価償却分は控除されるが、自然環境の固定資産は同様の価値があるもとのして取り扱われないため、混乱が生じ、破壊がいたるところで表れる。この計算は世界銀行や国連のような世界機構が用いている国民所得計算方式に深く根ざしているので、このような計算方式では、結局天然資源資産の破壊と所得の創造が区別はなされていない。
そういう意味では、自然を手段化したアダム・スミス等の経済学も白人から生まれるのも当たり前かもしれない。
|
|