戦争の起源
261209 鉄砲伝来後、火薬も日本で製造されるようになりました
 
小澤紀夫 ( 40代 大阪 営業、企画 ) 12/02/07 PM10 【印刷用へ
火縄銃は黒色火薬を使用します。黒色火薬は硝石(硝酸カリュウム)、硫黄、木炭の混合物です。硝石は日本で産しないので輸入に頼るほかはありませんでした。ゆえに戦国時代には、当時最大の貿易港であった堺が火薬の生産でも他地域を圧倒しました。しかし鉄砲伝来後、火薬の製法も伝わって、火薬も日本で製造されるようになりました。



【火薬の製法:バイオ技術 日本の花火の火薬の製法も鉄砲とともに伝わった】リンク by tokyoblog から一部引用し紹介します。

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 火縄銃は黒色火薬を使用する。黒色火薬は硝石(硝酸カリュウム)、硫黄、木炭の混合物である。粉状にして、ほぼ、7:1.5:1.5の割合で混ぜる。硝石は日本で産しないので輸入に頼るほかはない。戦国時代には、当時最大の貿易港であった堺が火薬の生産でも他地域を圧倒した。硝石は中国から購入したのか、それとも国内で生産されたのか?

 国内で生産されたようだ。

 火薬の製法の秘伝が、1559年に謙信に伝えられている。チリの硝石は、鳥のふんが堆積してできたそうだが、これを早く作成する方法があった。

 硝石の成因は、空気中あるいは土壌中のアンモニアを酸化して硝酸とする、いわゆる硝酸菌の硝化作用によって生成される。硝化作用の行われている大気中では、何処にでもあることになりますが、水に溶けやすいため、雨で流出しない処に堆積する。だから、神社の縁の下などには硝石が結晶する。硝石の生産は床下からの採取土を煮詰めて精製するものでした。火薬原料は二度煮詰めて生産、三度煮詰めて薬品原料が製造されるといわれています。

 江戸時代に佐藤信渕(のぶひろ)という人の著した『硝石製造弁』(1854年)に書かれた製造法を、『花火の科学』(細谷政夫/細谷文夫著、東海大学出版局、1999年)は次のように紹介しています。
1.炎天下で刈り取った草を1日干す。
2.30センチから60センチの高さに積み上げた土の上に、切り刻んだ干草を敷き詰める。
3.その上から、下水のたまり水、風呂の水、古池の腐り水、魚のはらわたや鳥の死骸などを漬けて腐らせた水をかける。
4.以上を繰り返し、土と草を積み上げる。
5.積み上がったら、雨風があたらないように小屋がけをする。
6.月に一度、土と草の積み直しをし、牛馬の糞尿や腐れ水をかける。
この作業を3年続けると硝石がとれる。

 戦国時代末期には、蚕のフンやヨモギから作った火薬が使われていたようです。
 
五箇山探訪:弾薬製造の道
作り方は、縁の下や倉の土間を掘って、1間四方ぐらいの空間を作り、わら、フン、ヨモギ、土を重ねて入れて、数年寝かせておき、土に成分が移った頃にその土を煮詰めて煙硝を抽出する方法。

 大地は火薬工場だった に下記の記事がある。

・戦国時代以来、明治21年まで塩硝産地であった富山県東砺波郡平村で全国的に散逸した資料を集約した報告書『塩硝一硝石と黒色火薬)全国資料文庫収蔵総合目録』(1995)、平村郷土館著がある。これによると鉄砲伝来当初には、火薬のひとつの原料である硝石を、堺の商人を通じて外国から輸入したが、まもなく本願寺の仲介で国産化した。それは日本独自のすぐれた技術だったとある。
文化8年孫作書上『五カ山焔硝出来之次第書上申帳』 より
 家居敷板の下,いろりの辺貮間四方(3.6メートル四方)も摺鉢のようにして囲炉の辺は6-7尺(約2メートル)も掘る。縁の方ほど浅く3尺斗堀,炉の辺板をまくり出入するように仕置,6月蚕時分底に稗がらを不切其侭長いながらを敷,その上に彼の麻畑土を取入,蚕の糞を鍬にて切交ぜ厚1尺斗も敷,其上に稗がらたばこから,蕎麦から,麻の葉,山草の肥たるを刈干しても又は積置むし草にしても5,6寸程穴に切,是を1扁敷(中略)<注この厚さの記述なし>この培物を敷たるうえに土に蚕糞を切交せ壱尺斗敷又蒸培など<山草などのこと>一遍敷土と培とを何遍も敷重ね,板敷のした6-7寸程透く程に積置。土は何遍にても皆蚕の糞と切交て敷事なり(以下略)
まさにバイオテクノロジーだった。最近塩硝床を復活しようとしたが,塩硝の硝酸菌がいなくなっているらしく,塩硝は生成しなかった」と高田善太郎氏が言われたとのこと。

参考:リンク 

 富山が日本最大の塩硝の生産地であったこと、そして一向宗徒が多いこと、上杉謙信と本願寺は同盟を結んでいることから、白川村や五箇山の硝石は、本願寺方が使ったのかもしれない。信長の時代,美濃、飛騨、近江、加賀、越中、越前は当時の本願寺の強力な地盤だった。
 
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