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『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)古代オリエントの時代〜全てが共認対象として一体であった精霊信仰から精神を上位とし物質を下位とする二元論へ |
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ブログ 地球と気象・地震を考える |
12/01/02 PM00 【】 |
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@近代科学技術は現実に則した事実認識とはいえず、現実捨象の架空観念発の認識体系であることAそしてその背後には人間が自然を支配するという意識が働いていることを指摘しました。
他方、科学認識の元祖というべき、精霊信仰はどうだったでしょうか。極限時代、人々は圧倒的な自然外圧に対し「仲間たちとの期待・応望=共認原理」を適用して「その現実の背後に精霊という具体的だが実体を超越した観念を獲得」します。そして、観念→言語を媒介として、工夫思考や仲間との共同作業が進化し、火の使用や弓矢の発明といった技術発展を生み出してきました。と同時に、常に自然は圧倒的な存在感を持つ畏敬の対象であり、であるが故に、祈り=期待・応望の対象であり続けました。言い換えれば、精霊信仰は徹底して共認原理に貫かれていたし、自然も人も共認の対象という意味では一体でした。
では精霊信仰が発展し変質をとげたと考えられる古代オリエントにおける科学認識のあり様はどのようなものだったでしょうか。そこには、精霊信仰の流れを汲む部分と変質した部分が同居していること、とりわけ、その変化は古代ペルシアにおいて、つまりアーリア人において引き起こされたことがわかります。
なお、科学思想史は西洋哲学史同様、古代ギリシャから書き起こされるのが一般的ですが、古代ギリシャは既に共同体がこなごなに解体し人工集団が登場して以降の社会であり、精霊信仰からの連続性を考える上では、古代オリエントにまでさかのぼることが不可欠です。桃山学院大学・神戸商船大学の教授をつとめた坂本賢三先生(1931-1991)は、古代オリエントにまでさかのぼって追求している非常に数少ない研究者です。以下、引用文は坂本賢三先生の著書「科学思想史」2008年岩波全書コレクションによります。(一部、引用者にて文脈上の補足をしています) ... 続きはこちら |
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